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朝鮮の独立運動、甲申事変

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1884年(明治17年)12月4日の夜、朝鮮の京城で金玉均一党の独立運動派が、突如として王宮を襲い、いわゆる甲申事変が勃発しました。(明治17年が甲申の年に当ることからそう称されます。)

朝鮮にとって熱烈な憂国の志士金玉均は、清国が朝鮮を属国扱いにするのを憤慨し、是非とも清国のきはんを脱して、独立を確保したいと大願望を抱き、先づそのためには日本に頼るべきだと考えました。

あたかも1882年(明治15年)7月、壬午事変の謝罪使として東京に渡ったのを幸、日本の政治家と連絡をとり、井上馨外相の世話で正金銀行から17万円の大金を借出し独立運動の資金とします。

更に、1883年(明治16年)には300万円を借出そうとしますが、この第二回借款は失敗に終りました。

そもそも、この頃の日本政府は、朝鮮の独立党を援助するか、全く相手としないか、甚だ曖昧であったため、金の運命もはかばかしくはありませんでした。

1884年(明治17年)12月4日は、京城郵便局の開始式に、朝鮮政府の大官連多数が列席するのを幸に、金玉均は同志朴泳孝、除光範、洪英植等と計って、一挙に事を起そうと計画します。隣接する一軒の空家に爆弾を装置し、その爆発を合図に驚いて駆け出す親清要人を待ち受け、一人残らず斬倒そうという密計で、大臣を斬倒す壮士は、井上角五郎の子分が日本から連れて来ていました。

ところが折角の合図の爆弾は不発に終り、仕方なく石油に火を放って火事だ火事だと騒ぎ立て、開業式から駆け出す大官に向って壮士達が清国人に変装して凶刃を揮います。

大官の中でも清国と特殊関係を持していた閔泳翊を逃すまいとしましたが、彼は暗殺団の凶刃を見て揮え上がり「人殺しだ人殺しだ」と叫んで局内に駆け込んでしまったので、他の大官連も奥に隠れて出なかったため、この暗殺計画は失敗に終ります。

金と朴とは事の成らぬのを知って、急に城に駆けつけ国王に目通りし、

「唯今清国の暴民が謀反を企て大官連に危害を与えようとしております。王城の守護には日本兵に頼る外はありますまい」

と進言し、竹添進一郎公使の率いる日本兵に王城の四門を固めさせました。

王城内の混雑は名状すべからず、この混雑に乗じた金玉均は、日本刀を揮って縦横に暴れ廻り、清国党の要人閔泳稷、趙寧夏等十数名を倒した上、独立党に依って王城内の権力を掌握します。

しかしその後も日本の後援態度が曖昧であったため、金の独立運動は間もなく悲劇に終わるのでした。

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