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日本最初の地下鉄道計画書が東京に立てられる

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1906年(明治39年)12月6日、日本最初の地下鉄道計画書が東京に立てられ、福沢桃介以下21名の連名で、東京市役所へ認可許可が提出されました。

当時の計画に依ると、浅草、高輪間と、銀座、新宿間に布設したいという希望でありましたが、これに対して東京市会でも審議した結果、不認可とします。

理由は、市の交通機関を統一する見地からと、今一つは地下鉄道を布設しなければならぬ程、交通上に不便を感じていなかった事に依ります。

出願者の地下鉄計画にしても、外国でもやっているから日本でも負けずにやろう、日露戦争にも大勝を博した帝国の面目として、是非帝都に地下鉄道の便があって好い、というような単純な考えであったらしいです。

しかし、その後の東京市の発展振りは目覚しいものがあり、交通頻繁となって地下鉄道の要求も次第にせっかくとなってきたので、改めて早川徳次などに依って、1917年(大正6年)7月18日、地下鉄布設認可願が更に提出されました。

そして今度は市でも地下鉄布設の必要も感じて、1919年(大正8年)11月17日に免許しており、これが現在の東京地下鉄道の沿革となります。

本来ならばもっと早く開通するはずのものでありましたが、何分にも日本にとっての最初の地下鉄道のため、その工事設計に手間取り、巨額を要する資金難にも障害が起ったりして、渋滞し、漸く工事も具体的に進捗しかけた間際に、1923年(大正12年)の関東大震災が起り頓挫してしまいました。

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