- 2008年12月20日 23:58
- 1868年(明治元年)

沼津兵学校記念碑
日本最初の洋式学校たる沼津兵学校及び附属小学校が開設され授業開始に当り、即ち校則を発表したのが1868年(明治元年)12月20日の事でした。
1867年(慶応3年)の末、大政を奉還した前将軍徳川慶喜は、駿河、遠江、三河の三国70万石の領主として駿河に移されたので、幕府の恩顧を慕う一族もこの三国に落ちて行きました。
その旧幕臣中の江原素六や阿部邦之助らの発起で、沼津の城内に兵学校と附属小学校の開設を見た理で、その校長にはオランダの留学から帰朝したばかりの西周が推されて任に就きました。もっとも当時は校長と称せず、頭取と呼んでいます。
この西頭取が西洋仕込の新知識に依り、最も理想的な近代的教育方針を樹て、在来の漢学は固より、天文、地理、日本史、西洋史、究理概論と称する物理化学、数学の方では代数、幾何、三角の各方面に渉り、更に語学では、英、仏語何れかを学ぶべき事、軍事教育では歩兵、砲兵、築城術の各般にわたっていました。
これに附属する小学校の方でも、素読、学書、地理、体操、講釈、聴聞などの六科目が設けられており、これまでの寺子屋式教育の比ではなく、学校の組織は最も進歩的で、一日の授業は五時間、学期は毎年10月を以て修業開始と定められ、かなり西洋の学校制度が取入られていました。「小学校」の名称はこの時に始まります。
然しその寿命は極めて短く、明治4年の末、官立に移されるまで僅か4年間でありました。その間、小学校出身者が約150名、兵学校出身数十名でありましたが、同校の教授並びに生徒の中から、明治大正時代に活躍した多数の人材を輩出しています。
例えば井口省吾、加藤定吉の両大将を始め、矢吹秀一、赤松則良、西紳六郎、黒田久孝などの各男爵、その他田口卯吉、島田三郎、真野文二などの重要な人材が出ています。
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