- 2008年12月22日 00:10
- 東郷平八郎

昭和9年頃の「東郷平八郎生誕の地記念碑」
東郷平八郎は、1847年(弘化4年)12月22日、東郷吉左衛門の四男として、薩摩国鹿児島鍛冶屋町(現在の鹿児島市加治屋町)の邸宅八畳の納戸で産声を上げました。
すでに歳も暮れようとして、東郷家では、迎春の準備に忙殺されていましたが、文字通り玉のような元気な男の子が生れると、邸内は俄かに明るい笑声に満ち、わけても、父の喜びは一通りでなく、仲五郎と命名して愛撫しました。
母益子は、嬰児に乳をふくませながら、幼児ながらも、眉宇の間にあふれている負けじ魂と、聡明そのもののように閃くj瞳とを打ち守りながら
「この子は必ず為すあるの人物になるであろう」
と、ひそかに会心の微笑を禁じえなかったと云います。
仲五郎の生れた鍛冶屋町の東郷邸は、いかにも侍屋敷らしい風格を備え、面積三百坪ばかりの邸宅には、四方竹垣をめぐらし、門は北方に面し、家屋は東西に延び、間数十一を算し、この外に納戸、物置、台所、土間があり、邸の南北両隅には倉庫を建て、その中央に厠と下男部屋がありました。
しかし、この邸宅は明治10年の西南戦争で焼失し、その後女学校(現在の鹿児島中央高等学校)の敷地になりました。
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