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旅順遂に陥る

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旅順要塞
旅順要塞最後の攻撃

肉弾攻撃を行うこと半年余、前後4回に渉る総攻撃の後、南山を取り二百三高地を奪い、ロシア軍の守将をして遂に降伏を決意させたのが、1905年(明治38年)1月1日午後5時の事でした。

これより翌日彼我委員の会見となり、5日、有名な水師営に於ける乃木、ステッセル両将軍の会見となりました。

乃木将軍の心事

総攻撃戦況みな非なる時、既に幾萬の犠牲を擲ち、我が二人の愛児まで殺した上に、「成功を望むの情甚だ切なり」との勅語をさへ拝したる当面の乃木将軍の心事や如何に。殊に大元帥陛下の御憂慮は察し奉るだに恐入ったのである。かかる苦戦を重ねた要害、憂慮の中心、待ち焦れの種であった旅順が陥落して、咽喉に立っていた魚の骨が取れたようにスーツと胸を撫で下した時は、(国民が)気が違うほど喜んだのも無理はない。

桜井忠温著『銃後』より

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