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旅順開城の談判

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1905年(明治38年)1月2日、前日の敵の守将ステッセル将軍より降伏開城の申入れを受けた乃木将軍は、軍参謀長陸軍少将伊知地幸助を陸軍委員とし、第一艦隊参謀海軍中佐岩村団次郎を海軍委員として、水師営に赴かせ彼の委員らと会見せしめることとなりました。

正午少し前、日本側委員が先づ著し、土嚢で造った塹壕の一部を開いて、ここからロシアの委員を導き入れて、開城に関する第一回会見を行いました。

日本側の列席者は山岡参謀、有賀法学博士その他、ロシア側は、参謀長ライス大佐その他数人。かくて談判は順調に進み、旅順開城規約に調印を終えたのは、午後9時45分でした。

本規約は本約11条附約11条で、その主要点は、旅順口要塞内及びその水上にあるロシアの陸海軍軍人、義勇兵及び官吏は総て俘虜とすること、また全堡塁、砲台、艦船艇、兵器、弾薬、馬匹、その他一切の軍用諸材料並に官金及び官有諸物件は現状のままこれを日本軍に引渡すことでした。

この時の要塞人員は総計2,207人、他に病院に収容中の傷病者約1万5千人でありました。

これを悉く日本軍に収受し、宣誓将校とその他を分かちて本国に後送し、続いて兵器及び諸物件を収容して旅順開城のこと、茲に全ての手続きを終えたのでした。

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