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東郷平八郎、海軍生活の第一歩を踏み出す

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春日士官
「春日」士官(前列中央が「春日」艦長赤塚源六、後列右が東郷平八郎


鳥羽・伏見の戦1868年(慶應4年)の正月3日であった事は一般によく知られていますが、当時の海戦(阿波沖海戦)についてはあまりよく知られていません。

あたかもこの日は、後の東郷平八郎元帥が、22歳で軍艦に乗組み、海軍生活の第一歩を踏み出した日に当ります。

春日艦
「春日」艦

その前前日の正月元旦、薩摩藩主は同藩所属の軍艦「春日」の艦長に赤塚源六、副艦長に伊東祐麿を任じ、幕府軍討伐を命じたのでした。この時、東郷平八郎は三等士官砲手として乗組みます。

そこで正月3日には艦長以下の乗組員一同兵庫碇泊中の同艦に投じて出帆、間もなく翌4日には土佐の沖合いで、幕府方の軍艦「開陽丸」に出遭い、ここに阿波沖海戦の火蓋が切られたのでした。

「春日」艦は薩摩藩がイギリスから買った木造の外輪蒸気船で、300馬力の1,015トン、これに対して幕府の「開陽丸」は艦長が榎本武揚、オランダ型の内輪船で、だいたい「春日」と同じくらいの大きさでした。

前方に敵艦現ると見るや、東郷平八郎は逸早くその持場たる左舷40斤(ポンド)施錠砲の放火を切って放ち、敵艦を追撃します。しかし着弾距離まで肉迫するに到らず、遂に勝敗何れとも決せずして両艦相隔てて物別れとなってしまいました。

なお、鳥羽・伏見の戦は言うまでもなく、薩摩、長州、土佐の藩兵から成る官軍が、江戸幕府軍討伐の合戦で、この戦争により幕府の勢力は完全に地に叩きつけられたのでした。

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