- 2009年1月13日 00:01
- 1905年(明治38年)

海軍大演習時の潜水艇(明治42年)
日本海軍に潜水艇が出現したのは1905年(明治38年)1月13日の事であり、アメリカより横須賀に届けられた5隻でした。
日露の開戦と同時に、急ぎアメリカに注文されたのが、解体のままで漸く横須賀に届いたので、組み立てて海に浮べ、この日第一号から第五号と命名、第一潜航艇隊としましたが、排水量何れもわずかに100トン、速力4ノット、潜航時間2時間から3時間、魚雷2本という今日から見れば貧弱なものでありましたが、当時としては確かに海の怪物でありました。
ところでこの新兵器が、日露海戦のどこで活躍したのか、或は活躍しても記録が残っていないのか、残念ながら史上には見つけることができません。
その後、明治43年の春、佐久間艦長が殉職した第六号潜水艇は、川崎造船所で出来た国産で、アメリカ製よりずっと改造されていました。次いで世界大戦中、ドイツ潜水艦を捕獲してこれに学び、更に独自の造船技術により、日本の潜水艦として進歩します。
国際連盟の海軍軍縮会議の席上、列強の代表者が異口同音に、
「潜水艦の乗組員は、真直に立って行動も出来ないような窮屈な思いをしなければならぬ。人道上からしてもかかる戦艦は宜しく全廃すべきだ」
と叫びました。この時、日本の代表は、
「立っているより座っていられるのは、我が国民にとっては休息を意味するのもである」
と応酬して、潜水艦廃止問題に真っ向から反対したのでした。
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