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板垣退助、民選議員の設立を説く

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板垣退助

明治の初年、王政復古の大業日に成り、月に進み、庶政刷新の実を見せつつありましたが、廟堂に列してその実権を握るものと言えば殆んどが薩摩、土佐、長州の各藩閥に限られている実状にありました。

その専制政治を打破し、すべからく全国民の代表によって立てた民選議員に依って国事を議すべきであるというのが、板垣退助の熱心な主張でありました。

もちろん彼ばかりでなく、後藤象二郎にしろ、江藤新平にしろ、同意見を論じていましたが、真っ向から民選議員設立を振りかざして、政府の要路に体当たりでぶつかったのは板垣でした。

そこでかねてから参議木戸孝允に面会を申込んでいた彼は、1874年(明治7年)1月17日、漸く望みが叶って、東京浜町の毛利邸に於て両雄が会見となりました。

この日、民選議員設立の要を説いた板垣に対して、木戸参議も穏やかに、

「お説はよく分った」

と言って分かれます。

しかし、それだけでは安心できない板垣は、更にその翌18日は、後藤や江藤以下8名と連署して、同じような意味の建白書を左院に呈します。

これが議会政治の産まれる前提となったのでした。

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