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八甲田山雪中行軍の大惨事

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八甲田山入口 田茂木野村から青森の原隊に戻る遺体

青森の歩兵第五連隊第二大隊は、1902年(明治35年)1月23日、大隊長山口少佐に率いられて、東津軽郡田代に向って雪中行軍を決行しました。

然るに午後1時頃から俄かに風雪烈しくなり、行軍に悩みながらも、一同勇を鼓して前進を続け、その夜は猿沢の森に露営する事となり、丈余の雪を掘って火を焚き炊事に取りかかりました。

しかし、雪は掘っても掘っても土に達せず、火を焚いても充分に燃えないので半煮の飯を食べて我慢しますが、どうしても我慢の出来ないのは骨まで凍りそうな寒さでした。

兵士一同絶えず軍歌を歌い足踏みを続けながら、辛くも凍傷を防ごうとしましたが、疲労と空腹にヘトヘトとなり、知らず知らずの間に睡魔に襲われます。「眠ったらそれ切り凍死する。」それが恐ろしさにその夜は一睡もできず、午前2時というのに夜営地を棄てて前進を開始したのでした。

そして翌24日、この日は前日よりも風雪いよいよ烈しく、寒さの度も前日の比ではありませんでした。駒込川辺りから、賽の河原辺りに行軍するうち、凍傷のためバタバタと倒れるものが続出して、その数34人に及びましたが、これを救助しようとするとその者が倒れそうになるので、涙を呑んで棄てて行くよりは外はありませんでした。興津中隊長の如きは部下を救おうとして介抱中、全身の知覚を失って倒れたまま、いかに介抱しても蘇生しませんでした。

前日来の空腹はひしひしと募るばかりだが、火も焚けず炊事はもちろん出来ません。石より硬くなった用意の餅を齧っていましたが、それもこの日の朝のうちに尽きてしまいました。賽の河原をその夜の露営地と定めましたが、全隊員の三分の一は既に途中の雪中に失われていました。

かくて三日目の25日は午前3時に行進を開始しましたが、その途中、30名ばかりの者が互いに手をつないだまま、屏風を倒すように一度にバッタリと倒れたきり、二度と起き上がる事が出来ませんでした。

吹雪いよいよ募り、寒気益々酷烈となり、無情の天候は兵士に対してあまりに冷酷であり、翌26日に到って、山口大隊長も遂に雪中に倒れて蘇生せず、それより30日までに雪中に彷徨い、漸く31日に至り救援隊に救われて生還したものは211名中僅かに15名のみでした。

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