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副島種臣全権大使、清国へ派遣

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副島種臣
副島種臣

1873年(明治6年)2月27日、外務卿副島種臣を特命全権大使として、大丞柳原前光、小丞平井希昌、鄭永寧等を副使として清国に派遣することを決めました。

1871年(明治4年)11月の琉球の民66名が台湾に漂流し、その中54名は生蕃の為に殺戮されたことを機に、国内では台湾征伐の声が高まり始め、と同時に明治初年以来、朝鮮の日本に対する態度が、頗る礼を欠いているものとして、先づ清国と朝鮮及び台湾との関係を確かめておく必要があるとしたのでした。

恰も清帝の婚儀が執り行われることになり、その賀儀を述べると共に、この機会に清国との談判をなさしむべく、前述の派遣となったのでした。

副島種臣は5月7日に北京に入り、清帝謁見について、清国側は各国公使を頭班とし日本大使を次班とすべしと云ったのを抗論の結果、日本頭班、列国次班ということにして謁見の礼を済ませました。

それから清国の当局と談判の結果、「朝鮮と台湾とは清国の化外地(王化の及ばない所)なり」という回答を得て、7月25日に横浜に帰着、27日に参内して復奏したのでした。

この結果、「征韓論」が増すことになり、一方で台湾征伐が行われることになるのでした。

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