Home > 1872年(明治5年) > 兵部省を廃し、陸海軍省の二省を置く

兵部省を廃し、陸海軍省の二省を置く

Social Bookmarks: このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Yahoo!ブックマークへ追加 add to del.icio.us Buzzurlへ追加 livedoorクリップへ追加 ニフティクリップへ追加

山県有朋
陸軍中将時代の山県有朋(左)と福原和勝大佐 *1872年(明治6年)頃

明治維新後の軍務はすべて兵部省で取り扱っていました。

この頃はまだ、兵事は士族の専職であるとされていましたが、山県有朋は上書して、将来多大の兵力を養うには、どうしても一般徴兵の法に依らなくてはならないとその旨を述べたことに基き、1872年(明治5年)2月28日、兵部省を廃して陸海軍両省を置きます。

この時、山県有朋を陸軍大輔に任じて陸軍省の長官とし、海軍少輔河村純義を海軍省の長官に充てます。

3月9日、従来の御親兵を改めて近衛兵と称し、山県有朋がその都督を兼ね、陸軍少将西郷従道を副都督とします。

次いで12月1日、いよいよ徴兵の制を設け、全国の成人男性を点閲して、悉く兵籍に編入すべく定められます。

かくて陸軍を常備、後備、国民の三軍に大別し、兵種を分けて歩兵、騎兵、砲兵、工兵、軽重兵の五種とし、平時は31,680人、戦時は46,350人を置くこととします。

1873年(明治6年)1月9日、徴兵令を発布し、全国に六鎮台を置き、兵制はここに於いてその基礎が定まったのでした。

拍手する

にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ にほんブログ村 歴史ブログ 近代・現代史(日本史)へ 人気ブログランキングへ

Comments:0

Comment Form

Home > 1872年(明治5年) > 兵部省を廃し、陸海軍省の二省を置く

Twitter

坂の上の雲 on Twitter

坂の上の雲 on Twitter

Information
Books

「明治」という国家

Calendar
« 2009年2月 »
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
Search
Photos
Tag Cloud
Links
Feeds
Blog Parts

あわせて読みたいブログパーツ

Return to page top