- 2009年3月11日 00:06
- 1892年(明治25年)

明治25年3月11日、品川弥二郎が選挙干渉責任問題で内務大臣を辞職します。
事の経緯は、明治24年11月20日に召集された第二議会に於いて、衆議院は政府の提出した予算案中海軍拡張費を削り、また承諾案たる濃尾震災救済費責任支出に就て、即決承認をを与えなかった為に、政府は即日12月25日に衆議院を解散し、次いで翌年2月15日を以て総選挙を行う旨の詔勅が下りました。
この時は松方正義内閣でありましたが、内務大臣品川弥二郎は、この総選挙に当って空前の大干渉を試みたのでした。
即ち巨額の金を散じて投票の買収を行ったばかりでなく、警官をして暴漢を仕向けさして選挙民を脅迫し、官吏は無論、その他政府に縁故を有する銀行会社、商工業家をして政府党に投票するよう強要します。
さらに暴漢は東西に奔走し良民投票の自由を妨害し、全国各地は騒然として血を見るに至ります。とりわけ民党の本拠と認められた高知、佐賀二県を始め、その他東北、北陸の諸県は凶漢は白昼堂々銃剣を執って横行し、全国を通じて死亡者25名、負傷者388名を出すに至りました。
されど選挙の結果は、依然民間党多数を占め、政府党130名に対して、民党156名を算するに至りました。
この品川弥次郎の遣り口に就いては全国傲然として非難の声を放ち、元老及び閣僚中にも同意見の者があったので、内相はこの日遂に桂冠し、枢密院副議長副島種臣が内相の椅子に就くことになりました。
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