- 2009年3月19日 00:24
- 1895年(明治28年)
日清戦争の於いて、日本軍は威海衛を占領し、清国の北洋艦隊を全滅せしめ、遼東半島を手中に収め、今や長駆北京を衝く勢を示したので、清国は和睦を求め、さきに張・邵両使を講和使として派遣してきますが、日本は厳しくこれを拒否した為。次いで北洋大臣直隷総督李鴻章を、全権委員として送り、一行はこの日馬関(現下関市)に到着しました。
清国全権弁理大臣李鴻章が講和談判にやってきた。李達の旅館は、会見場所の春帆楼のの隣の引接寺、地続きでコソコソと歩いて来られる所だが、李鴻章は大袈裟に行列を作って、見得坊の葬式の様に、迂回して春帆楼に入ったものだ。「漫画明治大正史」(昭和3年)
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