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2009年4月 Archive

枢密院を設置

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枢密院会議の図

1888年(明治21年)4月30日、大日本帝国憲法下の天皇の最高諮問機関である枢密院が設置されました。

枢密院は天皇の諮詢に応じて重要の国務を審議する最高顧問府で、これを組織する者を枢密顧問と呼びます。現行官制に依れば、枢密院は議長1人、副議長1人、枢密顧問官12人(後に増員)、書記官長1人、書記官3人を以て組織します。

初代枢密院議長には初代内閣総理大臣である伊藤博文が任命されます。
(なお、伊藤博文はこの日を以て内閣を辞職します。)

また、最初の枢密顧問官には、大木喬任、河村純義、福岡孝悌、佐々木高行、寺島宗則副島種臣佐野常民、東久世通禧、吉井友実、品川弥二郎、勝安芳、河野敏鎌の12名となります。

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ブラジルへ最初の移民

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笠戸丸
第一回移民を運んだ笠戸丸

1908年(明治41年)4月28日、サンパウロ州政府の渡航費補助をうけてブラジルへの最初の移民団799名が、笹戸丸に乗って神戸を出帆しました。

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近藤勇の最後

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近藤勇

1868年(慶應4年)4月25日、新撰組局長近藤勇が斬首されます。
享年35歳でした。

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東郷平八郎、元帥の称号を賜る

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東郷元帥

1913年(大正2年)4月21日、世界中から東洋のネルソンと云われた海軍大将東郷平八郎は、元帥府に列せられ元帥の称号を賜りました。

伊藤博文邸の仮装舞踏会

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仮装舞踏会
坂本牙城画「仮装舞踏会」

欧化心酔の最高潮ともいうべき1887年(明治20年)4月20日、時の首相伊藤博文の邸内では、内外貴紳多数が招待されて、華々しい仮装舞踏会が催されました。

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吉原炎上

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吉原炎上

1911年(明治44年)4月9日午前11時35分、吉原で大火が起こりました。

吉原江戸町二の二○貸席美華登楼より出火して、竜泉、南千住、今戸にわたる大火となり、午後8時に鎮火します。(全焼家屋6,550戸、焼死者4人、負傷者131人)

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専売特許条例制定

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専売特許条例

1871年(明治4年)4月7日、欧米の特許制度を見習って新発明専売免許規則19条が発布されます。

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小栗上野介忠順、斬首

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小栗上野介忠順

幕末の英傑小栗上野介忠順(ただまさ)は、1860年(万延元年)新見正興一行の遣米使節に随行して大役を果たし、帰朝後は目付役の勤務に精励、酒色を避けて上官に諂わず、1864年(元治元年)勘定奉行を兼ねて陸海軍奉行の重職に登用された程の逸材であります。

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井上馨の内地開放声明(条約改正会議)

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条約改正会議
聖徳記念絵画館 壁画「条約改正会議」
上野広一 筆
侯爵 井上勝之助 奉納
1882年(明治15年)4月5日
外務省

1882年(明治15年)4月5日、外務卿井上馨は外務省で開かれた条約改正予議会第7回会議の於て、始めて内地開放を声明しました。

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旧藩札発行の禁令

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dajyoukansatsu.jpg
慶應4年5月15日発行の太政官札(金札) 

1871年(明治4年)4月4日には、太政官達に依り厳重な藩札使用の禁令が下されました。

旧藩時代には各藩から藩札、即ち各大名発行の紙幣を使用しました。藩札の中には金札、銀札、米札、錢札、或は諸産物限り切手などの類がありましたが、明治政府となってからは全国統一の官札、即ち太政官札を発行して、全国民に使用させる事としました。

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明六雑誌の発行

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明六雑誌
明六雑誌

1874年(明治7年)4月2日、明治のモダンボーイらに依って、前年に結ばれた明六社から、年2回発行の『明六雑誌』が発行されました。

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