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小栗上野介忠順、斬首

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小栗上野介忠順

幕末の英傑小栗上野介忠順(ただまさ)は、1860年(万延元年)新見正興一行の遣米使節に随行して大役を果たし、帰朝後は目付役の勤務に精励、酒色を避けて上官に諂わず、1864年(元治元年)勘定奉行を兼ねて陸海軍奉行の重職に登用された程の逸材であります。

政治に外交に多大の功績を収めた中にも、横須賀に初めて造船所を設けた先覚の功は特に記憶すべきものであります。

直情径行の彼は将軍徳川慶喜に対して抗戦論を主張して罷免となり、野に下ってからは郷里の上州権田村に帰り、農兵を養って自ら護っていました。折から慶應4年、幕府の残党を討伐のため、東山道総督岩倉具定らの東下りに当り、忠順の心事を疑って使者を遣わしたのに対し、彼は直ちに銃砲を引渡して恭順の意を表したにも拘わらず、監軍原保太郎、豊永寛一郎らは頑として肯かず、遂に忠順以下の主従を捕らえて漸に処したのが慶應4年閏4月6日の事でした。

忠順が代々の菩提所で、その首級を埋葬してある大宮町の普門院には、徳川家達公の揮毫になる「小栗上野介招魂碑」が建てられ、命日をそのまま毎年太陽暦の4月6日(*2009年は5月24日)に同院に於て小栗祭が営まれています。

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Comments:1

黙魚 2012年6月25日 16:22

たのしく読ませていただきました。
文中で
1、「郷里の上州権田村に帰り」とありますが、小栗上野介は江戸の神田駿河台の生まれですから「知行地の権田村に移り」が適切のようです。
2、「小栗家の代々の菩提所普門院」…普門院の前住職の著「小栗上野介正伝」にもこう書かれていますが、小栗家の菩提寺は保善寺(中野区)です。普門院にあるのは4代目忠政の墓だけ、ほかの「小栗家」の墓はすべて分家の小栗仁右衛門家一族の墓です。

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