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福沢諭吉、戦火でも講義

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福沢諭吉
福沢諭吉

1868年(慶應4年)5月15日、折から啾々たる五月雨をついて、幕府の残党彰義隊が、官軍に抗して上野に砲火を交え、江戸の全町を震駭させる激戦となりましたが、彰義隊討伐の砲火は、いよいよ江戸の天地を動かし、市民の総ては全く生きた心地がありませんでした。

下谷方面の町民はもちろん、本郷、根津、日本橋方面の人々まで、我先にと家財道具を背負って、安全な町外れに避難するという状態でありました。

ところでこの日は、三田の新銭座の慶応義塾で、福沢諭吉のウェーランド著『経済書』の講義が開かれていました。

外では頻りに「ドカン、ドカーン」と物凄い大砲の音が轟き渡るので、とても落ち着いて講義に耳を傾ける者などありません。

若い塾生達は心配の余り、梯子をかけて屋根に上ると、下から「煙が見えるか」と尋ねます。「すぐ近くらしいが、何しろこの雨だから煙は見えないよ」という。また一人が、「うっかりするとここまで弾丸が飛んで来るぞ」と怖々梯子を上る。

すると福沢諭吉は、騒ぐ塾生を励ましながら、「おいみんな席へ戻れ。何をワイワイ騒いでいるのだ。心配せんでいいよ。戦争は上野だ。ここからざっと二里(約8キロ)も離れているんだから、弾丸が飛んでくる気遣いは無いのだ。」

と笑いながら、そのまま講義を続けます。

師の教に耳傾けながらも、さすがに若い塾生達は、大砲の音が轟く度に、思わず首を縮めたり、顔を見合わせたりしましたが、福沢だけは常と少しの変りもなく、予定の日課が終わるまで講義を続けたといいます。

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