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五稜郭落城、榎本武揚降伏す

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明治初年の五稜郭
明治初年の五稜郭

明治2年5月18日、榎本武揚を総大将に、明治新政府に反抗し箱館の五稜郭に籠城を続けていた旧幕府軍が降伏し、五稜郭を引渡します。

1868年(明治元年)8月19日、旧幕府海軍総裁榎本武揚は、旧幕府の軍艦の明治新政府側への引渡しを拒否し、フランス人5人を含む2千人余りで、旧幕府の開陽、回天ほか6隻の軍艦を率いて品川沖を脱走しました。

途中で幕将大鳥圭介らと合流し共に蝦夷に向い、最新艦開陽丸を含む4隻を失いながらも、函館の付近鷲の木に上陸して函館を襲い、次いで蝦夷全島を従えて10月25日箱館の五稜郭を占拠します。

12月15日榎本を総裁とする蝦夷島政府を樹立して、対外政策も重視しており、2月にはプロシア人と開墾に関する条約を締結した。徳川一門からの蝦夷地の首長選任を新政府に嘆願します。

しかし明治新政府は、これを賊軍として認めず、翌年3月に8千人の征討軍を派遣。松前、箱館を次々と占領し、11日には陸海両軍を動かし、総攻撃を開始しました。3月9日に甲鉄艦を含む8隻の艦隊で品川沖を出帆して北上した新政府軍は、箱館から南下してきた榎本軍と3月25日に宮古湾で海戦となりこれを破ります。

その後、青森で陸軍と合流した新政府軍は4月9日に蝦夷地に上陸、松前を攻略して5月11日箱館総攻撃を開始、陸軍は乙部に上陸して江差を回復し、進んで五稜郭に迫ります。

5月13日、政府軍参謀の黒田清隆が降伏を勧告しますが、榎本はこれを拒否します。その代わりに榎本はこの時、オランダ留学で得た『萬国海津全書』を焼失するのを惜しみ、黒田に託し、政府軍に進呈しています。

5月15日、弁天砲台の食料尽きて、函館奉行永井尚志以下240人降り、17日、大鳥圭介、荒井郁之助らと謀り、榎本は翌18日五稜郭を出て官軍の軍門に降ります。、19日清水谷総督函館に入り、次いで室蘭の脱走兵も皆降り、ここに一年半に及んだ戊辰戦争は終結します。

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