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乃木希典、ドイツ留学より帰朝す

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ドイツ留学中の乃木希典
ドイツ留学中の乃木希典(陸軍少将、40歳ごろ)

1888年(明治21年)6月10日、乃木希典が約1年半のドイツ留学を終え帰朝しました。

しかし、帰国してからというものは、昔の磊落な振る舞いが一転し、古武士の風格を尊ぶような謹厳そのものに変貌し、乃木を知る人々を驚かせます。

この事については、著書『肉弾』で有名な桜井忠温も、次のように語っています。

乃木さんは非常に上等の煙草を吸ったそうであるが、晩年には「朝日」一点張りであった。乃木さんが、軍服で押し通すようになったのは、明治20年独逸から帰ってからである。
独逸から帰ってから、乃木さんは急に固くなったということで、料理屋と名のつくところへ、足をいれなくたったのも、帰朝後のことであるそうだ。
日清戦争の講和後滞陣している時でも、外のものは暑いので浴衣を出して来たりしていたが、乃木さんは軍服一点張りで、着物などを持っていないし、着ようともしなかった。
そして夜は必ずズボンをはいたまま寝た。「わしはズボンをはいているとよく眠れる」と、いっておられた。
戦場で軍服を着るのはあたり前だが、乃木さんは自宅にいても軍服で押し通したのだから、変っている。
ある日、町に士官の姿が見えないので、不審と思い、副官にたづねると、「きょうは日曜です」といった。独逸から帰った当座のことである。人というものは年中軍服を着るものと思い切っていたらしく、日曜に軍服姿の士官の姿が見えぬので、不思議がったくらいであった。
桜井忠温著『将軍乃木』より

乃木希典の性格が一転して変ったの理由には、一つは、ドイツ留学中にドイツ国の偉大な所が、軍人が節制を守り、規律に服し、軍人の面目は死を以て守るにあると観て、さらには、ウィルヘルム二世の崩御に際し、国民挙げて謹慎哀悼の状を表するを見て、痛くこれに感じ入り、顧みて近年の日本人は一身の利を求めて国家を忘れる者多きことを嘆き、乃木は山鹿素行を私淑し、常に武士道の振る舞いをすることで、その模範を広く示そうとしたのであると言われます。

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Comments:1

ちか 2009年6月10日 12:20

山鹿素行といえば吉田松陰先生でしたか。玉木文之進の名前を思いだしました。そういえば乃木閣下もこの人に教育されたのでしたね

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