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秋山兄弟の母・貞逝去、その時、秋山好古は・・・

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秋山貞
秋山貞

1905年(明治38年)6月19日、小説「坂の上の雲」の主人公である秋山兄弟の母・貞が、千葉県習志野秋山好古邸で永眠しました。(享年79歳)

この時、秋山兄弟は日露戦争に出征していましたが、弟・真之は日本海海戦の後で佐世保に帰港していましたが、兄・好古は未だ中国の地にて守備に当っていました。

その李大人屯の部落に於ける秋山支隊司令部に、秋山貞子母堂の逝去を知らせる、一通の電報が届きました。その電報を、瞬きもせず見つめた好古は、傍にいる従卒の綿貫に、突然と訊ねます。

秋山好古
日露戦争で鼻下に傷を負った秋山好古

「綿貫、風呂が沸いとるか。」

「ハッ、沸いております。」

「ウム、手拭を出せ。」

「ハッ。」

風呂にめった入らない好古が自ら入浴すると言いだしたことに綿貫は驚きます。実に好古にとっては出征以来の二度目の入浴になります。

甕風呂で体を清めてきた好古は、部屋へ帰って来ると、いつもの様に黙然と胡坐を組んでいましたが、暫くすると、

「中屋!」

「ハッ。」

中屋副官が、呼ばれて入ってきます。

「葉書があるか。」

「ございます。」

軍事郵便の葉書を、中屋副官が、隣の部屋から持ってくると、その一枚を取った好古は、傍の硯へ禿筆を入れて、スラスラと認めます。

「これを、出してくれ。」

「ハア。」

中屋副官、将軍の表情に、平生と似ず、感慨無量なものを見て、――何か? と、思わず葉書を眺めると、そこに、

母上は散られけり山桜

ただ一つの俳句が、書かれていたのでした。

それだけなので、副官は二重に驚きます。

「失礼でありますが、今さきの電報は、御不幸のお知らせでありますか。」

「ウム。」

「それは、......お悔みを申し上げます。」副官は更に驚き、自分も感慨に打たれた。」

「..................」(好古は黙っている。)

「しかし、この葉書だけで、お宅へよろしいのでありますか。」

「いけんかね。」

「ハッ?」

「己の心もちが、解りさえすれば、好えのじゃ。」

中屋副官は、その葉書一枚を、野戦郵便局へ出しに行きます。ただ一つの俳句であるが、御自分から入浴された将軍の胸中も、この俳句と共に悼ましく偲ばれて、そぞろに自分も、喪に服する気持ちになったと云います。

参考文献: 山中峯太郎著『将軍秋山好古』(昭和9年)

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