- 2009年6月20日 00:15
- 1875年(明治8年) | 聖徳記念絵画館

聖徳記念絵画館 壁画「地方官会議臨御御深曾木」
磯田長秋 筆
公爵 木戸孝一 奉納
1875年(明治8年)6月20日
浅草本願寺書院
地方官第一回会議は(明治8年)5月5日を以て召集命令を発せられ、6月20日、東京浅草区東本願寺書院に於て開会式を挙げ、明治天皇臨幸、勅語を賜ったのでした。
これに対し議長木戸孝允は、翌日参内議員を代表して奉答書を奉りました。
地方官会議は明治前期に行われた府県行政長官による会議で、1873年(明治6年)大蔵省開催の地方官会合を含めて全部で4回開かれました。
当時の民撰議院論に対応し、太政官が立法議会として毎年1回開くことを1874年(明治7年)に布達したことで、開設は翌年の1875年(明治8年)大阪会議の決定をうけたものになります。
この会議の議案はおよそ五案から成り、
- 道路橋梁堤防とその経費
- 地方警察
- 地方民会
- 貧民救助方法
- 小学校設立及びその保護法
会期は20日間、各府県に対し人員を限って傍聴を認めます。
会議は第一及び第二の両案に就いて多くの日数を費やしてしまい、地方傍聴者が最も注目していた、第三案即ち地方民会の議事に入らずに会期が尽きようとしたものだから、彼らは会期延長を建言し、木戸議長はこれを容れて3日間延期します。しかし、それでも要領を得ずに議会は閉じられたのでした。
この会議で決定したのは租税を国税と府県税の二種に分けること、及び町村会を設けることでありました。特に後者の町村会は、やがて自治制の先駆をなしたものであります。
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