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仕立屋銀次、検挙される

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仕立屋銀次
仕立屋銀次

1909年(明治42年)6月23日、全国で約500名の子分を有するという日本一のスリの大親分と称された仕立屋銀次(本名富田銀蔵、44歳)が逮捕されました。

銀次は、東京浅草生まれで、13歳で日本橋の仕立屋に奉公に入り、その後独立します。だが妻を捨てて、恋仲になった相手が、有名なスリの親分の一人娘だったために、彼はやがて跡を継いで親分となったのでした。

スリのもたらす情報などで捜査していた当時の警察は、銀次一味の犯行を見逃していたため、銀次はこれまで一度も拘束拘留を受けたことはなかったのでした。

警察にとって、銀次親分の逮捕は

しかしながら、同月21日、新潟県知事柏田盛文が電車の中で仕立屋銀次の一子分に金時計を掏られたことから事態は一変します。その掏った金時計というのが、かの伊藤博文公から贈られた記念の時計であった為に、警察もこのまま放置しておくわけにも行かなくなりました。

ただ、銀次一味を逮捕してしまえば、警察はこれまでの情報網を断ち切ってしまうことになり、それは今後の捜査に支障をきたしてしまうことにもなりますが、社会情勢を鑑みた東京市赤坂警察署長本堂平四郎は大英断し、23日の午前10時、日暮里の銀次の妾宅に刑事・巡査を多数を踏込ませ、銀次とその子分8名を検挙したのでした。

銀次はさすがに大親分だけあって逃げも隠れもせず、尋常に縛についたのですが、この日の彼の扮装は、丸顔の五部刈に鼻下八字鬚を蓄え、本フランネルの単衣にセルの単羽織、鼠縮緬の兵児帯に紺足袋を穿き、白金の指輪、甲斐絹細巻の洋傘、山高帽という具合で、一見立派な紳士風でありました。

連行した赤坂署では署長自ら取調を開始したので、銀次も「今度ばかり御放免下さい。その証拠として指を切って誓いましょう」と申し出ましたが、署長は、「お前の指なんか貰って何の役に立つか」と一蹴したという逸話があります。

この検挙により、東京ではスリの被害が激減したと言います。

なお余談ですが、銀次の父親は刑事だったと云います。

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