- 2009年6月 9日 00:03
- 1867年(慶応3年)
兵庫開港勅許前後から雄藩間の提携議論が急速に活発になり、土佐藩でも後藤象二郎を坂本龍馬ともに京都に遣わしこの議論に参加させることになりました。この両雄が長崎を出帆、上洛の途に就いたのが、1867年(慶應3年)6月9日の事でした。
船は土佐藩の蒸気船で夕顔丸というのでしたが、この日長崎を出帆すると間もなく、船中で坂本龍馬が筆を執ったのが「天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事」という大政奉還を前提に、議会開設、官制刷新、外国交際、法典制定、海軍拡張、親兵設置、貨幣整備などの八ヶ条より成る主旨書でした。
第一策、天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事
第二策、上下議政局を設け、議員を置きて萬機を参賛せしめ、萬機宜しく公議に決すべき事
第三策、有材の公卿・諸侯及天下の人材を顧問に備へ、官爵を賜ひ、宜しく従来有名無実の官を除くべき事
第四策、外国の交際広く公議を採り、新に至当の規約を立つべき事
第五策、古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を撰定すべき事
第六策、海軍宜しく拡張すべき事。
第七策、御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事
第八策、金銀物貨宜しく外国と平均の法を設くべき事
これが有名な「船中八策」で、後藤は雄藩連合に道を開くこの論に賛成し、京都でこれを藩論とすることに決め、西郷隆盛らと会談のうえ薩土盟約を結び、大政奉還の方針を土佐藩内外に明らかにします。
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Comments:1
- 半杭正幸 2009年6月 9日 10:38
船中八策こそが、明治維新を決定付けしたのですね。彼はどこでこれを知ったのでしょうか。




