- 2009年7月 8日 00:17
- 1905年(明治38年)
1905年(明治38年)7月8日、日本はアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの提議を容れ、ロシア全権と講和の談判をなすべく、全権外相小村寿太郎が汽船ミネソタ号にて横浜を出発、アメリカのポーツマスに向いました。
小村さんは、七月三日、高平公使と共に正式に講和全権委員被仰付、超えて六日参内、優渥の勅語を拝し、八日横浜出帆の米船ミネソタ号にて私共八名の随員を従え米国に向われた。新橋、横浜は勿論沿道通過の各駅の内外に歓送の市民潮の如く溢れ萬歳の声は天地を揺がすばかりであった。本多熊太郎著『魂の外交』より
「アー何のかのと気焔は揚げるものの戦もモウお仕舞いだと云う気分だな!」
と此の光景を観て私は密かに感じたのである。全権一行の出発の前日樺太攻略軍の先頭部隊が同島に上陸した。
随行員は弁理公使佐藤愛麿、政務局長山座団次郎、公使館一等書記官安達峰一郎、外務書記官本多熊太郎、外交官小西孝太郎等。
後にフランス在勤公使館二等書記官落合謙太郎、アメリカ在勤三等書記官埴原正直も随行員に加えられます。
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