- 2009年7月21日 00:13
- 1881年(明治14年)
1881年(明治14年)7月21日、北海道開拓使長官黒田清隆の主張で、開拓使官有物の払下げ計画が太政大臣に申請しました。
黒田清隆の計画は開拓使10年計画の満期を迎え、総額1,500万円にのぼる費用をかけた開拓使所有の不動産などを、38万円余・無利息・30年賦という廉価で法外な好条件で、同郷の政商関西貿易商会の五代友厚らに払い下げようというものでした。
7月30日に裁可を得て、8月1日に発表される予定でしたが、これを東京横浜毎日新聞がスクープします。
関西貿易商会は......開拓使と約し北海道の物産を一手に引き受け、かつ北海道の物産と称するものはこの商会の手を経なければ、北海道外に輸出させない仕組みがある。......開拓使は開拓委任の名義を口実として北海道に第二に東印度会社を立て、これに独占利権を与えるものである。(中略)東京・日本橋の開拓使物産取扱所の広壮無類なる家屋が、わずか二万円で、この貿易会社の手中に入るのは近日中である。東京横浜毎日新聞(7月26日の新聞記事)より
藩閥と政商の結託とみて国民各層で激しい反対運動が展開され、国会開設運動に結びつきます。政府部内でも筆頭参議大隈重信らが批判・反対したため計画は取り消され、国会開設の勅諭、明治14年の政変へとつながって行くのでした。




