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豊島沖の海戦

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ショバイオール沖の戦
小林克己画「ショバイオール沖の戦」

1894年(明治27年)7月25日、仁川南西方の豊島沖で日本海軍は清国艦隊を砲撃しましす。

坪井少将の率いる吉野、浪速、秋津の三艦、朝鮮沿海の居ると清国「済遠」「広乙」と行違いに支那側発砲した。此の時浪速の艦長が東郷平八郎、第一発は東郷さんの艦から発射、一つは沈没一つは火災おまけに、高陞号まで分捕った。李鴻章此の報を聞いて「日本は海賊の様だ」と列国に吹聴した。宣戦布告をまだしなかったから。
「漫画明治大正史」より

豊島沖の海戦

日清談判破裂して、品川乗出す吾妻艦、続いて金剛浪速艦、国旗堂々翻えし・・・・・・と愉快きんりょう節が現代のお子供衆やモダン振りの方はご存じないが、日清戦争当時の流行唄で、えらい勢で民衆が唄ったもの、この唄の出る前の月七月二十五日の豊島沖では、歌の文句には出て来ないが秋津洲、吉野艦に浪速は清艦の挑戦に応じて戦って、広乙を座礁させ、操江を捕獲し、済遠を敗走させて、運送船高陞号を撃沈した。これがそもそも日清談判破裂しての糸口になった。その時の艦の威風堂々たる姿と現在の軍艦と競べて見ると、くっぐったい気持ちになりはしまいか。
「漫画明治大正史」より
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