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近代教育発程の第一歩たる「学制」を制定

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文部省
1872年(明治5年)頃の文部省

1872年(明治5年)8月5日、国民皆学を目指して学制が公布されました。日本の学校系統はここに始めて明らかとなったのでした。

前年に設置された文部省が、欧米先進諸国の教育制度を参考に立案され、大・中・小の学区、学校、教育、生徒試業、海外留学生、学資などを定めます。

学制の理念は太政官布告で「學問ハ身ヲ立ルノ財本」であると強調し、「自今以後一般ノ人民(華士族、農工商及ビ婦女子)必ス邑ニ不學ノ戸ナク家ニ不學ノ人ナカラシメン事ヲ期ス」と述べ、従来の身分的学校を廃し全国民が就学すべきこと、実学思想、個人の立身出世の思想などが表明されたのでした。

その大要は全国を大・中・小の学区に分ち、これに大・中・小の学校を配当する。
小学校は国民必須の教育を授ける所で尋常小学は上下二等に分ち、各等4年通じて8年の修業年限とする。外に幼稚小学(幼稚園)小学私塾(個人経営のもの)貧人小学・女児小学及び廃人学校(盲あ学校の類)などの各種学校あり。

中学校は普通の学科を教える所で、これまた下等(修業年間3年)上等(3年)の二種に分ち、外に同程度の学校に緒民学校・農学校・通弁学校・商業学校・工業学校あり、別に師範学校があった。

おもに小学校の設置に力が注がれましたが、その強引な実施や過重な経費負担、教育内容の国民生活との隔たり(授業料は有料で、また都市でも農村でも貧しい家では子供が重要な働き手となっているため)などにより国民の不満は大きく、1879年(明治12年)の教育令公布にともない廃止されることになります。

その後は、1886年(明治19年)教育令を廃して新に大学令・師範学校令・中学校令及び緒学校通則を発布し、1899年(明治32年)中学令を改正して新に高等女学校令・実業学校令及び私立学令を公布し、更に1903年(明治36年)専門学校令を発布して、今日の状況近づいたのでした。

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