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2009年9月 Archive

明治の城址「上田城」

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明治の城址 ~明治時代のお城の写真~

上田城

本日のお城は、真田氏で有名なあの「上田城」です。
別名尼ケ淵城または伊勢崎城ともいいます。

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明治の城址「広島城」(鯉城)

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明治の城址 ~明治時代のお城の写真~

広島城

写真のお城は「広島城」、別名「鯉城」ともいいます。

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明治の城址「松山城」

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明治の城址 ~明治時代のお城の写真~

本日より少し趣向を変えまして、新企画「明治の城址 ~明治時代のお城の写真~」を創めたいと思います。

幕末から明治の世となり、明治新政府によって城郭は全国的に解体されるなど、また第二次大戦の空爆により焼失したことにより、現在私たちが目にするお城の殆どは復元されたお城となりますが、これからお送りいたします写真は、明治時代に撮影された在りし頃の貴重なお城の写真となります。

企画として、約50点ほどのお城の写真をご紹介したと思っていますので、どうぞお楽しみくださいませ。

では、この新企画の第一回目を飾りますお城は、

松山城

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日清戦争「黄海海戦」

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日清役黄海海戦
聖徳記念絵画館 壁画「日清役黄海海戦
太田喜二郎 筆
大阪商船株式会社 奉納
1894年(明治27年)9月17日
黄海

1894年(明治27年)9月17日、日本連合艦隊は黄海において清国北洋艦隊と海戦、これを撃破します。

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エルトゥールル号遭難事件と日本赤十字社

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1890年(明治23年)9月16日、日本への友誼を求めて来航したトルコの特派大使オスマン・バシャの軍艦「エルトゥールル」号が、使命を果し明治天皇に親書と勲章を奉呈して帰国の途中、紀州灘で暴風に遭い沈没し600人余の死傷者を出したので、付近の漁民は死力を尽してこの救済に当りました。

一方急報に依って赤十字社では、直ちに兵庫県和田岬に救護員を派遣し、仮病院内で負傷者多数の応急手当を施し、その看護のため尽したのですが、これが日本に於ける赤十字社最初の外国軍人救護記録となりました。

日清戦争「平壌の戦」

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日清役平壤戦
聖徳記念絵画館 壁画「日清役平壤戦」
金山平三 筆
神戸市 奉納
1894年(明治27年)9月15日
平壌

1894年(明治27年)9月15日、日本軍は清国軍と平壌にて戦闘を交えます。対清宣戦の大詔渙発以来、初の大戦にして、日清戦争に於ける最大の会戦となりました。

図は平壌戦中、陸軍少将大島義昌の混成第九師団奮闘の光景であり、馬上の人物は参謀長岡外史が描かれています。

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明治天皇大葬

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明治天皇大葬

1912年(大正元年)9月13日、青山練兵場(現明治神宮外苑)にて明治天皇の大葬が行われました。

此の日、不世出の英主明治大帝の大葬儀が東京市赤坂区青山練兵場で執行された。午後正8時、一発の号砲を合図に、霊轜粛々と宮城を軋り出でた。霊轜は文武百官に護られ、御葬列の長さ凡そ二里半、先頭が漸く青山に近づいた頃、御轜車はまだ日比谷公園に沿うて進んでいた。その青山大葬場の列、赫々と篝火に栄え、白木造りの神々しき神殿造り、白練絹の縁とった御簾が高く絞り掲げられている。

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佐田介石の「馬鹿の番付」

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明治初期の世をあげての滔々たる西洋崇拝、舶来品尊重の風潮にたいして、国粋保存・国産品奨励の猛運動を展開した宗教思想家佐田介石は、経済的な側面から国産品愛用運動をおこして、多くの建白をします。

なかでも『ランプ亡国論』(「東京日日新聞1880年7月16日)が有名ですが、彼はまた『馬鹿の番附』というものを出して世の欧化主義者を罵倒したのでした。

東大関
米穀を喰わずしてパンを好む日本の人
関脇
結構なる田地をつぶし桑や茶を作りて損する人
小結
輸出入の不均衡を論じつつも西洋料亭で懇親会を開く議員
前頭
国産の笠傘を捨て舶来のコウモリ傘を用いる人
西大関
国産の種油原油をすて舶来の石炭石油を用いる人
関脇
従来の商業をすて会社を結びそれがため身代限りする人
小結
ベロベロト洋語で国家の経済を論じて我身を修めかねる演説先生
前頭
国産の帽子をすて風呂敷の如き物を肩へ巻く人

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