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明治天皇大葬

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明治天皇大葬

1912年(大正元年)9月13日、青山練兵場(現明治神宮外苑)にて明治天皇の大葬が行われました。

此の日、不世出の英主明治大帝の大葬儀が東京市赤坂区青山練兵場で執行された。午後正8時、一発の号砲を合図に、霊轜粛々と宮城を軋り出でた。霊轜は文武百官に護られ、御葬列の長さ凡そ二里半、先頭が漸く青山に近づいた頃、御轜車はまだ日比谷公園に沿うて進んでいた。その青山大葬場の列、赫々と篝火に栄え、白木造りの神々しき神殿造り、白練絹の縁とった御簾が高く絞り掲げられている。

明治天皇

第一神門際には、一丈二尺の白妙の旗高く立てられ、撒砂清らかな御轜道の両側には、菊花御紋章付の白張提灯、五間置きに立て並べられ、燈籠電燈晃々たる葬場殿前の広場なる幄舎前には、先著の文武百官整列し、各列国御名代の宮殿下には、各皇族、同妃殿下等を随えさせられ、左側第二神門幔幕の前に立御遊ばさる。

かくて五頭の黒牛に挽かれたる御霊轜は、哀音を発しながら、静かに式場に著し、霊柩は御車のまま葬場殿中央の奉安所に安置された。鷹司祭官長の供饌ありて、楽人等哀き誄歌を奏す。

此の時大正天皇には、霊柩の前に進ませられ、玉串を捧げ、

「皇考ノ登遐シ給ヒシヨリ夙夜夢寐温容ヲワスル能ハズ、シン宮ニ殯殿ニ奉饌拝参シテ空シク霊前ニ感泣スルコト早ヤ既ニ四十余日、今ヤ伏見桃山ニ斂葬セムトシ轜車ヲ送リテ此ニ来レリ」

の御誄を奉読あらせられ、以下順次拝礼終て、霊轜を霊柩車に移御、やがて鉄路緩かに東京の地を離れさせ給うたのは翌14日午前2時。

伏見桃山に於ける斂葬式の全く終ったのは実に15日午前8時半であった。

この夜正8時、明治天皇の霊轜、宮城発引の号砲を合図に、学習院長陸軍大将伯爵乃木希典及び夫人静子は、数通の遺書を残し、明治天皇に殉して自殺を遂げた。時に希典64歳、静子54歳。

「うつし世を神さりましし大君のみあとしたひてわれは行くなり」

「出てましてかへります日のなしときくけふの御幸に逢ふぞかなしき」

「歴史回顧日々読本」より

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