- 2009年9月28日 22:52
- 明治の城址

本日より少し趣向を変えまして、新企画「明治の城址 ~明治時代のお城の写真~」を創めたいと思います。
幕末から明治の世となり、明治新政府によって城郭は全国的に解体されるなど、また第二次大戦の空爆により焼失したことにより、現在私たちが目にするお城の殆どは復元されたお城となりますが、これからお送りいたします写真は、明治時代に撮影された在りし頃の貴重なお城の写真となります。
企画として、約50点ほどのお城の写真をご紹介したと思っていますので、どうぞお楽しみくださいませ。
では、この新企画の第一回目を飾りますお城は、
春や昔十五万石の城下かな 子規
で有名な、小説「坂の上の雲」の故郷である伊予国「松山城」でございます。
松山城は1602年(慶長7年)、「賤ヶ岳の七本槍」の一人である加藤嘉明が松山平野中央に築城した平山城となります。
松山城は山上の本丸と山麓の二の丸が離れていて、その間を上り石垣で結んでいます。その縄張は文禄・慶長の役の際に、日本軍が朝鮮半島に築いた「倭城」と共通しており、鉄砲隊の戦法に見合うように造られた構造となっています。
*縄張とは城館の平面構造のことで、廓をいかに配置し、堀や土塁・石塁・虎口などをどう設けるかといったもので、城の良し悪しを決定するもの
天守閣は三層の連立式となりますが、築城当初は五層だったと云われています。
加藤氏のあとに蒲生氏が入り、江戸時代には久松家松平氏の居城となりました。
こちらは、現在の松山城です。

画像:写真素材「足成」
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