- 2009年11月21日 15:55
- 1865年(慶応元年)
近江膳所藩の尊王攘夷党が、反対党のため罪を問われ、森祐信以下10名が切腹を命じられた大弾圧が、1865年(慶應元年)11月21日の事でした。
幕府の風雲益々急なる当時、全国各藩ともその帰する所に迷い、思想的に動揺を来し、琵琶湖の波は静かでも、膳所の城内には只ならぬ空気が漂い始めていました。他藩では西郷吉之助や高杉晋作、坂本龍馬等の面々が暗躍している。
安政の大獄以来、幕府の内訌は益々ひどい。耳を蔽うても聞える志士憂士の暗闘の取沙汰に、次第に殺気立ってくるのを制える事ができない。
右にすべきか左にすべきか、総てはお上の御意に依る外はないと、幕府中心主義の安全第一を護っているうちにも、森祐信、高橋正功、高橋幸祐、保田正経、槇島光明、阿閉信足、田河武整、関敏樹、増田正房、深栖当道、渡辺緝等11士の如き尊王攘夷党が現われ、互いに尊王の大義を唱え、攘夷を主張して国事を談じ、藩の施政に一大改革を促そうとする反撃運動が目立ってきたのでした。
時に同藩中の佞奸上坂大五郎を中心とする中傷者が策動し、恐るべき大逆臣かの如く訴えたのが動機となり、11名悉く切腹を申渡されてます。固より斯くあるべしと覚悟した一同、従容として自刃し相果てた。高橋幸祐は切腹を申渡されると共に
「君を思う誠の玉を抱かずはかかる海に沈まざらまし」
と一首を遺し、また、保田正経は
「数ならぬ賤が玉の緒絶ゆるとも絶えぬは君がなさけなり」
との辞世を詠んだ。
間もなく明治の御代となってから、11士何れも正五位を追贈され、膳所の招魂社に合祀されます。現在大津市膳所安昌寺の岡山墓地にその墓碑が建てられています。
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Comments:1
- 智太郎 2009年11月21日 20:48
こんばんは!(*^_^*) お疲れ様です!・・・・11/21:本日更新の:『司馬遼太郎さんも詐欺師?坂本龍馬は作られたのか?』:【サラリーマン編】・・・現場(仕事;現場監督)が決まりました。ななんと問題されていた「裏JV」(記事に説明あります。)・・現場が始まり数週間経って知ったのですが・・でも、途中施工中に職人で某大学の歴史学科を卒業した人に自分の好きな坂本龍馬も実は、司馬遼太郎によってかなり変えられているという事実・・哀しかったです。多くのデジカメ写真を豊富に貼り紹介させていただきました。・・どうぞ!遊びに寄って楽しく見てやって下さい。 ○ 上下方!どちらかの【脳・神経・脊髄】をポチして清き1票を下さい・・_ お願い致します。尚!時あれば・・自分の【学生編】当過去ブログにも、当時の写真・数多くの!面白い・可愛い(猫.犬)・画像・動画もありますので、どうか!楽しんで見てやって下さいませませ。 ・・特に左上にクイックすれば見れる当ブログ最初の交通事故の第1編を見て頂いたら感謝が絶えません。では、また・・



