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横井小楠の受難と転機

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横井小楠
横井小楠

肥後藩の勤王家横井小楠(平四郎)が、江戸のお玉ヶ池で佐幕派に襲われ、九死に一生を得たのが、1862年(文久2年)12月19日の事でした。その頃の小楠は、公武合体派の急先鋒として活躍、松平春嶽公の信任も厚かった。

この日の五つ時というから今の午後8時頃、友人の都築、吉田の両人とお玉ヶ池で酒盃を交し彼等が江戸出立を惜しんでいた。そこへ不意に乱入した狼藉者数人が白刃を揮って斬ってかかった。

小楠は生憎無腰で、次の間に両刀を置いたままだったので、賊と抗戦の余裕がなく、身軽に白刃の下を潜って階下へ飛び降りると、松平越前守の屋敷に駆け込み、おツ取刀で現場に引き返してみたが、その時既に遅く、二人の友人は深傷を負わされて、曲者は退散した後でした。

この事は間もなく藩の熊本にも伝えられ、

「横井が賊の襲来に恐れて逃走し、友人二名まで見殺しにした」

と針小棒大に悪評され、遂に彼の卑怯な振舞は武士道に反するものとして警戒のため碌を取上げてしまった。

時に小楠は52歳の初老、

「お蔭で浪人になったのじゃから、これからは肥後藩の横井ではござらぬ。天下の浪人じゃ、天下のため日本国のため手足を伸ばして御奉公出来るわけじゃ、うん、よかよか」

と言って天に向って大笑したと云います。

その言や正に当ります。

天下の志士来り訪ねて彼に時勢を問う者、益々多きを加えたのも、彼が浪人になってからの事で、坂本龍馬の如きもその一人となります。

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