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西郷隆盛、握美大島に流される

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西郷隆盛

西郷吉之助(隆盛)が奄美大島へ島流しとなり、鹿児島湾の山川港から舟を出したのが1858年(安政5年)の12月30日の事でした。

安政の大獄のため京都を逐われて、薩摩に戻ったが、幕府のお尋ね者の月照を同伴しているので、幕吏の追求厳しく身の置所がなくなったので、この年の11月16日、月照と相応じて薩摩の海に身投した事は、以前述べましたが、月照は溺死、吉之助だけが蘇生しますが、薩摩藩では幕府からとやかく言われるのがうるさいので、表向きは月照と共に投身自殺した事にして、その名も菊池源吾と改め、大島へ流される事となりました。

ただ、船には乗り込んだが風波が激しくて、港を離れる事ができません。と言って陸へ上る事も許されないので、止む無く大晦日と正月を船中で過ごし、天候の回復を待って、漸く奄美大島に着いたのは正月12日となりました。

かくて大島の潜居生活3年、1861年(文久元年)12月には漸く許されて鹿児島に帰還を許されますが、それでもまだ本名を名乗る事だけは遠慮して大島三右衛門と名乗ります。間もなく京都に出て同志と国事に奔走するうち、京都の伏見寺田屋に於ける討幕一挙の相談が洩れて、西郷もその徒党と見なされ、島津久光のお咎めを受けて、1862年(文久2年)6月にまたもや徳之島へ流され、更に沖水良部島に移され、西郷の足掛7年間は全くの受難続となりました。

最初大島に流された日から、ちょうど5年目に当る1863年(文久3年)の同じ12月30日には、沖水良部島の流罪生活に感慨無量、次の如き一篇の詩を吟じています。

「吾年四十に垂とす。南嶼釘門の中、夜坐して厳寒に苦しみ、星回って歳律窮まる。青松暴雪に埋り、清竹狂風に偃れ明日東帝を迎ふ。唯応に至公を献すべし」

と、幽閉の身をかこちつつも、憂国勤王の至誠鬱勃たるものがありました。

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