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2010年1月 Archive

寺田屋騒動(坂本龍馬襲撃事件)

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坂本龍馬
坂本龍馬

薩長連合1866年(慶応2年)1月21日、目出度く成立しました。

その斡旋の大役を果たした坂本龍馬はすっかり朗らかな気持ちになり、京都の薩摩屋敷から、仮の宿と定めている伏見の寺田屋に帰って来たのは、1月23日の八つ時(今の午後10時頃)でした。

待ちかねていた長州藩の三吉慎蔵が

「この度の大役を果たされて目出度い目出度い」

と二階座敷で一献傾け始めます。

すると敏くもそれと知った伏見の町奉行、林肥後守配下の捕手多数が寺田屋を包囲したのでした。

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薩長連合の盟約成立

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中岡慎太郎
中岡慎太郎

1866年(慶應2年)1月21日、京都の小松帯刀の別邸で歴史的会見が遂げられます。

薩摩と長州両藩の勤王党の代表が、固い握手を交し、共に勤王討幕の大業に当ろうとした薩長連合の盟約が取交されたのでした。

事の起りは、土佐藩の勤王家中岡慎太郎がその前年の閏5月6日、薩摩に西郷吉之助を訪ねて、薩長両藩の連合を説いたのに始まります。

各藩個々の行きがかりの感情を打ち棄てて、この際国家の大事に励力すべきであるという、中岡の説には西郷も直ちに大賛成、しかし長州藩にその人と頼む高杉晋作や木戸準一郎(桂小五郎)などが、快く承知してくれるかどうか、それが心配だと言うと、

「いや、その事なら拙者が先方を説いて斡旋の労をとりましょう」

と話は調子よく進んだのでした。

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咸臨丸、アメリカに向けて浦賀を出港

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咸臨丸
咸臨丸

幕府の軍艦咸臨丸が、太平洋横断の壮途に上ったのが、1860年(安政7年)1月19日の事でした。

その前々年、江戸に於て調印された日米修好通商条約の第14条に依って、批准書交換の使者となり、新見豊前守正興の一行が、アメリカへ特使を立てられる事となり、それより一足先に浦賀を出帆したのが、この咸臨丸でした。

同船は徳川幕府がオランダから10万ドルで買入れ、「咸臨丸」と名づけたもので、長さ48.8メートル、幅が8.74メートル、内輪型の蒸気船で、排水量625トン、機関出力100馬力の小船、それでも大砲12門を装備した名ばかりの軍艦でありました。

これに乗組んだのが軍艦奉行の木村摂津守芥舟、船長が勝麟太郎(勝海舟)、その他福沢諭吉など100余名。

幕府の役人達も、こんな小船で果たして万里の波濤を征服し得るかどうかと、頻りに問題にした程でしたが、勝海舟以下の一同は、

「日本海軍の腕試しに、どうしても決行したい。例え失敗しても雲外万里の波に呑まれて死ぬのだから、海国男子として如何にも本望ではないか」

と意気込みます。

ところが出発間近となって、船長の海舟自身が熱病に冒されて、病床に伏すような有様となります。しかし病のため延期したとあっては、男として甚だ不面目、高熱を押して起上がり、夫人には、

「今日はいくらか気分も快いようだから、ちょいと品川まで艦を見に行ってくる。決して心配しないように」

と気軽に屋敷を出たきり、16日には品川碇泊の咸臨丸に乗込んで、19日浦賀を出帆、太平洋横断の一大壮途に上ったのでした。

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勝海舟、坂本龍馬のために帰藩運動

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坂本龍馬
坂本龍馬

土佐藩の傑物坂本龍馬が、勤王討幕の大望のため、同士と気脈を通じて脱藩を企てたのが、1862年(文久2年)の3月末の事でした。

勝海舟
勝海舟

勝海舟の門に入って航海の法や海戦の術を学んだのでしたが、龍馬の海舟を得たのは、あたかも龍の雲を得たようなもので、彼は漸く多年の宿望を達し得たのを非常に喜んだのでした。

幕府を倒そうという勤王家の龍馬が、幕府直属の軍艦奉行勝海舟の門に入って喜んだというのも、甚だ矛盾のようではありますが、海舟には時流を超越した政見がありました。即ち彼は幕府の大政奉還論者であり、同時に開国論者でありました。だから龍馬も心から海舟に敬服していたわけであります。

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明治の城址「高知城」

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明治の城址 ~明治時代のお城の写真~

高知城

「明治の城址」第12回目は坂本龍馬の故郷である土佐の「高知城」です。

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秋山好古、誕生

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秋山好古
秋山好古

1859年(安政6年)1月7日、伊予松山藩士秋山平五郎の三男として秋山好古が誕生します。

後に陸軍に入り、日本の騎兵を育成し、日露戦争では秋山騎兵団を率いて史上最強と言われたコサック騎兵団と破るという大功を樹てた秋山好古も、生まれ頃はとてもひ弱な子供だったようです。

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