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秋山好古、誕生

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秋山好古
秋山好古

1859年(安政6年)1月7日、伊予松山藩士秋山平五郎の三男として秋山好古が誕生します。

後に陸軍に入り、日本の騎兵を育成し、日露戦争では秋山騎兵団を率いて史上最強と言われたコサック騎兵団と破るという大功を樹てた秋山好古も、生まれ頃はとてもひ弱な子供だったようです。

将軍は七ヶ月の月足らずの生れであった。されば生来極めて虚弱の質で、その保育には両親共に多大の苦心と注意とを払ったのである。そのためか、赤ん坊の頃には非常な泣虫で、昼も、夜も、ヒイヒイと泣きづめであった。久敬氏が読書や思案に耽る時などは、貞子夫人は夫の心を乱さざるため、信三郎(好古)を懐に抱いて外出するのが常であった。それでも尚お泣き止めぬ時には、慈愛に満ちた夫人も流石に困り果て、

「こんな弱い子を育てたって何になるものか。なまじ何にも知らぬ今の中に殺して了う方が、この子の仕合せかも知れん」

と心を鬼にして石手川の橋の上に立ったことも、一再ではなかったということである。三つ四つの年になって後も、

「この子が一人前の人間になれるだろうか」

とは貞子夫人が弱々しい信三郎を見て、いつも他人に洩した言葉であった。

50年間も女中として秋山家に仕え、信三郎の守りをしたお熊婆さんは将軍の幼児を追想して、

「いつも鼻汁を垂らして能く泣いた坊さんで御座いました」

と述懐したことがある。

伝記「秋山好古」』(泣味噌の鼻垂れ)より

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