- 2010年1月19日 00:25
- 1860年(万延元年)
幕府の軍艦咸臨丸が、太平洋横断の壮途に上ったのが、1860年(安政7年)1月19日の事でした。
その前々年、江戸に於て調印された日米修好通商条約の第14条に依って、批准書交換の使者となり、新見豊前守正興の一行が、アメリカへ特使を立てられる事となり、それより一足先に浦賀を出帆したのが、この咸臨丸でした。
同船は徳川幕府がオランダから10万ドルで買入れ、「咸臨丸」と名づけたもので、長さ48.8メートル、幅が8.74メートル、内輪型の蒸気船で、排水量625トン、機関出力100馬力の小船、それでも大砲12門を装備した名ばかりの軍艦でありました。
これに乗組んだのが軍艦奉行の木村摂津守芥舟、船長が勝麟太郎(勝海舟)、その他福沢諭吉など100余名。
幕府の役人達も、こんな小船で果たして万里の波濤を征服し得るかどうかと、頻りに問題にした程でしたが、勝海舟以下の一同は、
「日本海軍の腕試しに、どうしても決行したい。例え失敗しても雲外万里の波に呑まれて死ぬのだから、海国男子として如何にも本望ではないか」
と意気込みます。
ところが出発間近となって、船長の海舟自身が熱病に冒されて、病床に伏すような有様となります。しかし病のため延期したとあっては、男として甚だ不面目、高熱を押して起上がり、夫人には、
「今日はいくらか気分も快いようだから、ちょいと品川まで艦を見に行ってくる。決して心配しないように」
と気軽に屋敷を出たきり、16日には品川碇泊の咸臨丸に乗込んで、19日浦賀を出帆、太平洋横断の一大壮途に上ったのでした。
途中非常な難航を極め、船は太平洋の怒涛の木の葉の如く揉みに揉まれ、幾度か難船しかけた事もありました。病気を押して出かけた海舟の如きは、船が沖に出ると間もなく船酔いを始めて嘔吐し、後には吐くものがなくなって血を吐くような状態となりながら、決して苦しいなぞとは一言も洩らさず、時折薄気味悪い笑声を立てて、
「俺が勝つか、病気が負けるか、勝は勝つに決まっている」
と洒落を飛ばしたりして、どこまでも頑張り通しました。
蒸気船とは言え、殆んど帆の力を頼りに航続する当時の幼稚な船ではありましたが、その頃の日本人は西洋製の船と言えば、決して難破しないと盲信していたので、太平洋の荒波に翻弄されても割合に平気でありました。
そして同年2月25日、37日振りに目指すサンフランシスコに到着した時は、さすがに乗組員一同命拾いした思いでありました。しかも咸臨丸の船体は散々破壊し、3本マストの1本は折れていたという状態で、
「ようもこんな小船で太平洋を乗切って来られたものだ」
と彼の国の人々が驚嘆しかつ敬服したそうだ。
何しろその数年前アメリカの提督ペリーが来航した時の見聞記では、
「日本という国は西洋に後れた幼稚な国民ばかりで、外国まで遠洋航海が出来るような実力も無ければ、それだけの大きな船も持合していない」
と報じている位で、遣米使節のポーハタン号でさえ、咸臨丸よりずっと大きな2,415トンでした。
だから咸臨丸がサンフランシスコに入って来た時は、アメリカ人が驚いたのも無理はありません。
小さな木造船で日本のサムライが入港したというので新聞紙にもやんやと書き立てる。また国民を挙げて歓待してくれた。船の底に附着している牡蠣を取ってくれたり、ペンキを塗りかえたりして、懇切に世話してくれました。
一番嬉しかったのは海舟だったに違いありません。
長崎の海兵操練所で、数年来教育してきた門人を率いて、この壮途を征服したのでしから。遣米使節ポーハタン号 の別動船とは表向の名で、かねての宿望たる遠洋航海がしてみたかったので、この機を捉えて決行したわけであるし、さて目指す港に着いてみれば役目も済んだのです。
日本へ帰港の途に就こうという十数日前となって誰言うとなく、
「折角ここまで来たのだから、ついでに南アメリカの南端まで航海してみようではないか」
という提議に
「そいつは面白い、よかろう、よかろう」
「是非やってみよう」
と衆議一決してしまいまいた。
往路の大難航ですっかり懲りて、「もうこんな小さな船で帰るのは嫌だ」と思いきや、船の修繕も済んでしまうと、あろう事か更に南米の端まで渡ってみたいという日本のサムライには、アメリカ人も唖然とします。
「それは無謀だ。およしなさい」
と、極力反対して押止めます。
アメリカ人側では好意的に止めてはいるのですが、海舟一行には却って癪にさわり、
「危ない事は日本の国を出る時から承知している。断然決行だ!」
といきり立つのを、新見豊前守等に押しなだめられて遂に断念、渋々ながら真直ぐに帰航の途に就いて、同年の5月5日の端午の節句に浦賀に凱旋します。
陰陽歴の違いこそあれ、その壮途発航の日と海舟の命日とが、同じ1月19日となります。
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