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日本初の電信実験

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電信機の実験

日本で初めて電信の実験を試みたのは1854年(嘉永7年)2月24日の事でした。

アメリカの提督ペリーが幕府へ贈った33種の土産物の中でも、特に珍奇なのは、蒸気機関車の模型と電信機であって、蒸気機関車の試運転を行ったのが、同年2月23日、引き続き翌24日には、横浜の弁天境内で、アメリカの技師が電信の実験をやって見せたのでした。

先づ約40メートルおきに杉の柱を立てて、その頭部にギヤマンの壺を置いてこれに針金を通し、一里離れた吉右衛門の屋敷まで電線を引いところで、双方から実験が行われました。前日の蒸気機関車の試運転で驚異の眼を瞠った幕府の役人達もこの日の電信の実験ときたら、どうにも訳がわかりません。

実験に取り掛かる前に、予備知識として一応の説明がありましたが、第一に通訳の役人が理解できていませんでした。何しろ電流とか電気、電線というような電気化学上の訳語がなかった時代の事ですから、幾度説明を聞いても分かろう筈がありません。

たいてい紅毛人のやる事は、いわゆるキリシタンバテレン術の魔法だから、分からぬのが当たり前だと思っていました。分かったような分からないような至極曖昧模糊たる中に実験が開始されます。

上図にあるのが当時の電信機で、人々環視の中で、英語、オランダ語、日本語の三様の通信文がカチカチと次々に打たれます。幕府の役人達は、狐に撮まれたような顔を見合して、「はてな?」と首をひねるが、首をひねっても分からぬものは分からぬ。当時の機械はエンボッシング・モールス電信機で、西暦1837年アメリカ人のサミュエル・モールスが電信機を発明して18年目の事になります。

発信受信共に実験が成功して、受信を文字に書代えて見せる。技師も得意になってペラペラと喋る。通訳の役人も「皆目理が分かり申さぬ」と本当の事を言っては、役目柄面目が立たないので、適当なところでお茶を濁して、内心冷汗を覚えたに違いありませんが、その時分としては分からないのが当然のことだったでしょう。

通訳が、

「針金を引く距離は、もっと遠くても同様の実験ができるか」

と尋ねると技師はますます得意になって

「十里が百里となっても完全に通信が出来る。ここでは電線が引くのが大変だし、急場の間に合わぬので、こんなに近距離でやってみたが、これはほんの小手調でござい」

と顎を撫でて見せます。

そこで当時の見聞記録にも電信の事を「千里鏡」と呼び、或は「天連関理府」(テレガラフ)と漢字を当て、但書には「電雷気にて事を告げる機械なり」とあります。

実験後、この電信機械2台は江戸城に収められたが当時は幕府の風雲急を告げて、物情騒然たる折柄であったので、ペリーが土産も折角の文明の利器も殆んど顧みるものがなく、そのままお庫の中で埃をかぶって、実用に供せられずに終ったのでした。

それから15年目の1869年(明治2年)の夏となって初めて横浜に電信線が架設され、同年12月25日に東京横浜間に電信の開通も見るのでした。

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