Home > Archives > 2010年3月 Archive

2010年3月 Archive

鉄道運輸国営を発表

Social Bookmarks: このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Yahoo!ブックマークへ追加 add to del.icio.us Buzzurlへ追加 livedoorクリップへ追加 ニフティクリップへ追加

西園寺公望
西園寺公望

1906年(明治39年)3月31日、鉄道国有法が法律第17条を以て公布されました。

原案では32社を買収して、国有とする事になってはいましたが、討議の結果主要幹線に当る17社2,813マイルが買収されることになっていた。

各鉄道会社では同案に対して、極力議会に於て反対しますが、日露戦争中に出征軍人や軍用貨物の鉄道運輸上、頗る円滑を欠いた苦い経験があったこともあり、政府は是非とも国策上国家の直営とすべきだと主張します。

続きを読む

幕府の遣米使節、ワシントンにて大統領と会見

Social Bookmarks: このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Yahoo!ブックマークへ追加 add to del.icio.us Buzzurlへ追加 livedoorクリップへ追加 ニフティクリップへ追加

遣米使節一行
遣米使節一行(前列左から村垣範正、新見正興、小栗忠順)

江戸幕府の遣米使節が日米修好条約交換のため、目指すワシントンにて大統領ブカナンと正式の会見をしたのが、1860年(万延元年)閏3月28日の事でした。

同年正月22日、日本を発して太平洋横断の壮途に上った使節の一行は、途中ハワイに奇行して3月1日にサンフランシスコ着、閏3月5日にパナマ着、同20日にニューヨーク着、28日には正使の新見豊前守正興、副使村垣淡路守憲正、監察役小栗豊後守忠順等の一行70数名が、威儀を整え行列を正してホワイトハウスを訪ねます。

続きを読む

日本最初の電燈点火

Social Bookmarks: このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Yahoo!ブックマークへ追加 add to del.icio.us Buzzurlへ追加 livedoorクリップへ追加 ニフティクリップへ追加

電灯

1878年(明治11年)3月25日、東京に中央電信局が開所式を挙げたのですが、その祝賀会式場に於て初めて電燈点火の実験が発表されました。

この実験には工部大学のエアートン教授が指導の任に当り、藤岡市助、中野初子の両氏が、会衆の前でグローブ電池を用い白熱孤光燈を点火して見せました。

電気燈の噂だけは知っておきながら、実際に目の当たりにしたのはその時が最初だったので、人々は思わず驚異の眼を瞠ったと言います。

坂本龍馬の脱藩

Social Bookmarks: このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Yahoo!ブックマークへ追加 add to del.icio.us Buzzurlへ追加 livedoorクリップへ追加 ニフティクリップへ追加

坂本龍馬

土佐藩の勤王家坂本龍馬が、志を抱いて決然脱藩を企てたが1862年(文久2年)3月24日の事でした。

各藩の勤王愛国の同志と交わるに従い、天下の形勢愈々座視するに忍べなくなった龍馬は、いっそ藩を脱して自由な浪人となり、思うさま国事に奔走したいという願望に燃立ち、この日夕刻、飄然として家を出ます。

家の者には内緒としながらも、男優りの姉乙女だけには心事を打明けて暇乞をしたので、強いて止めようともせず、別れ際に肥前忠広の銘刀を餞としてくれたのでした。

続きを読む

勤王の志士、将軍家茂の東帰を牽制

Social Bookmarks: このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Yahoo!ブックマークへ追加 add to del.icio.us Buzzurlへ追加 livedoorクリップへ追加 ニフティクリップへ追加

徳川家茂
14代将軍徳川家茂

幕府も14代徳川家茂の代となった1863年(文久3年)3月22日、京都では勤王の志士の間に、猛烈な将軍東帰反対運動が起ります。

当年18歳の将軍家茂は、天下の趨勢に鑑み、従来の幕府中心主義から一歩も二歩も譲り、大義名分に服して京都へ参内、朝廷尊崇の実を挙げました。固より将軍の後見には一橋慶喜あり、越前の松平春嶽あり、その補佐宜しきを得て、幕府の旧弊は着々として改革が断行されていました。

即ち同年3月11日の加茂の行幸には鳳輦に御供し奉って200年来の盛典を復興、君臣の道を全うした事は誠に見上げたものでした。斯くの如く将軍自ら朝廷に奉仕することは、折から紛々たる国内の与論を鎮め、人心を安んずるものとして、勤王の志士一同も大いに我が意を得たのであった。さて将軍家茂にしてみれば、第一の大役を果したものの、まだ攘夷と開港の両問題が残っているので一日も早く京都を引上げようとして焦っていたのでした。

続きを読む

明治天皇、率先して断髪する

Social Bookmarks: このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Yahoo!ブックマークへ追加 add to del.icio.us Buzzurlへ追加 livedoorクリップへ追加 ニフティクリップへ追加

明治天皇
1873年(明治6年)の明治天皇(22歳)

1871年(明治4年)8月9日、庶民の旧習を改めて散髪を許すという布令が太政官より下されました。

地方民は勿論、東京の都人でも急に丁髷を切るのを嫌がって、長い間の伝統に恋々たるものがありました。この時に当り明治天皇は庶民に範を示す意味で、頭髪を切ったというのが1873年(明治6年)3月20日の事でした。

続きを読む

幕府の反対を押切って京都に親兵隊を設置

Social Bookmarks: このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Yahoo!ブックマークへ追加 add to del.icio.us Buzzurlへ追加 livedoorクリップへ追加 ニフティクリップへ追加

1863年(文久3年)3月19日、後の近衛兵の前身となる親兵が設置されます。

幕末の勤王党が天下の兵権を朝廷に囘し奉ろうとした第一着手の運動として、先づ京都に親兵を設けようとしたのは1863年(文久3年)の春に始まります。長州土佐の両藩が最も熱心にこれを説きます。

そこで朝廷でも在京諸藩の有力者と寄り寄り協議されるようになったので、江戸幕府では慌て出して、何かと反対運動を行います。

けれども兵権の回復こそ王政復古の第一歩であるという長州土佐の主張は日に日に熱を加え、2月28日には親兵貢献の願書を朝廷に捧呈するに至ります。

続きを読む

鉄道敷設開業

Social Bookmarks: このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Yahoo!ブックマークへ追加 add to del.icio.us Buzzurlへ追加 livedoorクリップへ追加 ニフティクリップへ追加

1870年(明治3年)3月17日、東京築地の尾張邸跡に、鉄道敷設事務局が設置されます。

イギリスの技師モレル・ダイアック等の指導に依り、東京横浜間の測量が開始されたのが同月25日になります。

アメリカの提督ペリーが汽車の模型を持って来たり、遣米使節や遣欧使節が外国で初めて汽車に乗ってみた経験から、日本にも早く汽車を開通して文化向上を計るべきであるという要望は、幕末の有志の間に熱心に唱えられていたのでありましたが、何しろ300年来の江戸幕府が崩壊する、明治政府創業の大難が引続くという具合で、鉄道敷設の事も伸び伸びになっていて、漸く明治3年の春に第一歩を踏み出したのでした。

その測量の起点は芝の汐留駅の構内から、当時の測量起点たる伊豆石の元標が発見されたので、現在同所に鉄道敷設創業の記念碑が建てられています。

序でながら、東京横浜間の鉄道開通は1872年(明治5年)5月7日、これは仮開通であって、正式に開業式が挙げられたのは、同年9月12日となります。

島津久光、鹿児島を出発上京の途に上る

Social Bookmarks: このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Yahoo!ブックマークへ追加 add to del.icio.us Buzzurlへ追加 livedoorクリップへ追加 ニフティクリップへ追加

島津久光

薩摩の島津久光が、安政大獄の赦免運動や、幕政改革等の重大使命を負うて、鹿児島を出発上京の途に上ったのが、1862年(文久2年)3月16日の事でした。

これに従ったのが小松帯刀、中山尚之助、大久保一蔵(後の大久保利通)、有馬新七等、堂々一千余りの護衛でありました。

時に安政大獄の後を受けて勤王、佐幕の両党は暗々裡に対立して、天下の形勢は頓に険悪、そこで護衛隊長の有馬新七も、今度の上京ばかりは到底生きて還れまいと覚悟を定め、最愛の妻に離縁状を遺して発足したという逸話が残っています。

続きを読む

高杉晋作、丁髷を落として名を「東行」と改める

Social Bookmarks: このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Yahoo!ブックマークへ追加 add to del.icio.us Buzzurlへ追加 livedoorクリップへ追加 ニフティクリップへ追加

高杉晋作

幕末の長州藩にその人ありと知られた高杉晋作が、頭を丸めて名も東行と改めたのが、1863年(文久3年)3月15日の事でした。

晋作は藩中でも小壮派の大立物、殊に大義名分を振り翳して一歩も退かぬ勤王党の闘士でした。その言行が余りに過激過ぎるというので藩主から10年間のお暇が出てしまいます。

続きを読む

横浜に初めて基督教会設立

Social Bookmarks: このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Yahoo!ブックマークへ追加 add to del.icio.us Buzzurlへ追加 livedoorクリップへ追加 ニフティクリップへ追加

横浜海岸教会
横浜海岸教会

明治に入って耶蘇教の禁も寛大となり、初めて横浜の居留地に基督教会の設立を見たのが、1872年(明治5年)3月11日の事でした。

続きを読む

初めて汽車に乗った日本武士

Social Bookmarks: このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Yahoo!ブックマークへ追加 add to del.icio.us Buzzurlへ追加 livedoorクリップへ追加 ニフティクリップへ追加

遣米使節一行
遣米使節一行(前列左から村垣範正、新見正興、小栗忠順)

1860年(安政7年)閏3月6日、江戸幕府の遣米使節新見豊後守正興、村垣淡路守範正、小栗豊後守忠順等の一行がアメリカのパナマから、コロンに至る400軒ばかりの間を汽車の便に依ったのが、即ち日本人が汽車に乗った最初の記録でありました。

羽織袴に草履履き、丁髷に二本刀の武士達が、蒸気の力で動く汽車というものに始めて乗ったのですから、その驚嘆の程もさぞかしと察することができるでしょう。

何しろ新橋横浜間最初の汽車開通より12年も前の事でしたから。

続きを読む

Index of all entries

Home > Archives > 2010年3月 Archive

Twitter

坂の上の雲 on Twitter

坂の上の雲 on Twitter

Information
Books

「明治」という国家

Calendar
« 2010年3月 »
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
Search
Photos
Tag Cloud
Recent Comments
  • くじら: 貴重な資料をゲットさ read more
  • mijeoung Park: とても貴重なしりょう read more
  • 匿名: ダンディ坂野だな read more
  • 黙魚: たのしく読ませていた read more
  • ジョウンベラ: 絵の中心にいる人物は read more
  • ジョウンベラ: 絵の中心にいる人物は read more
  • 紀州: ひさしぶりにおじゃま read more
  • 和田壽弘: 日本最初の博士の一人 read more
  • 匿名: 最後の行、”戦士”で read more
  • Yuki: タケオさんの写真が素 read more
Links
Feeds
Blog Parts

あわせて読みたいブログパーツ

Return to page top