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高杉晋作、丁髷を落として名を「東行」と改める

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高杉晋作

幕末の長州藩にその人ありと知られた高杉晋作が、頭を丸めて名も東行と改めたのが、1863年(文久3年)3月15日の事でした。

晋作は藩中でも小壮派の大立物、殊に大義名分を振り翳して一歩も退かぬ勤王党の闘士でした。その言行が余りに過激過ぎるというので藩主から10年間のお暇が出てしまいます。

そこで晋作は惜し気もなく丁髷を切って坊主となり、予てから崇拝する西行法師の西へ行くという法名に対し、彼はやがて東へ行き、京都の天子様のお膝下で事を起すのだという理想に依って、名を東行と改名したのでした。即ちこの時の歌に

「西へ行く人を慕いて東行く我心をば神や知るらん」

と詠んでいます。

然し遁世出家と見せかけたのは表向きだけの事で、それから三月も経たぬ6月7日には、馬関(現下関)で入江九一、河上弥一郎等と奇兵隊編成の事を発議し、6月12日には馬関総奉行手元役となっています。

という具合に国家多事の当時、じっとしている事の出来る高杉ではありませんでした。即ちざんぎり頭で大いに活躍したのは、それからの事になります。

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