- 2010年3月24日 00:10
- 1862年(文久2年)

土佐藩の勤王家坂本龍馬が、志を抱いて決然脱藩を企てたが1862年(文久2年)3月24日の事でした。
各藩の勤王愛国の同志と交わるに従い、天下の形勢愈々座視するに忍べなくなった龍馬は、いっそ藩を脱して自由な浪人となり、思うさま国事に奔走したいという願望に燃立ち、この日夕刻、飄然として家を出ます。
家の者には内緒としながらも、男優りの姉乙女だけには心事を打明けて暇乞をしたので、強いて止めようともせず、別れ際に肥前忠広の銘刀を餞としてくれたのでした。
龍馬は28歳の血気盛り、彼と行を共にして郷里を出たのは沢村惣之丞唯一人。
又、これを見送る者も河野万寿弥一人だけで、心から二人の首途を祝ってくれた。
脱藩以来の龍馬は、その名もわざと才谷梅太郎と称して、先づ京都に上り、更に江戸へ志した。そして間もなく幕臣中第一の先覚者勝海舟の門に入り、航海術や海戦法を学ぶうち、海舟からも大いに彼の才幹を認められ、坂本の如き大人物を浪人としておくのは土佐藩の為に損失、本人の将来の為めにも帰藩させ度いたいうので、特に藩主の周施の労を取ったのもそれから後の事になります。何れにしても龍馬の脱藩は彼が世に乗出す第一歩でありました。
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