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佐久間象山、罪を問われる

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佐久間象山
佐久間象山

幕末の大先覚者佐久間象山が、江戸町奉行井戸対馬守の呼出状により召捕りとなったのが、1854年(嘉永7年)4月5日の事でした。そして翌6日には江戸伝馬町の揚屋入れられて、約半年の間度々の審問を受ける事になります。

事の起りは、その前月の3月27日、吉田松陰と金子重輔の両人が海外へ密航を企てて失敗した際、船中の遺留品の一つに、象山から松蔭へ送った一片の詩が問題となり、計らずも連累者と睨まれて、痛くもない腹を探られたのでした。

当時の象山の態度は、

「謗る者は汝の謗るに任す、嗤う者は汝の嗤うに任せん。天公本我を知る、他人の知るを覓めず」

という述懐の詩に依って窺われますが、しかしながら幕吏の追及は甚だ急であり、何かと理屈をつけて終身禁固とするか、或は死罪にさえしかねない見幕でした。

同じ幕吏の中でも勘定奉行の川路聖謨の如きは、象山の異才をよく知っていたので、

「国家多難の折柄、象山如き大人物を失うのは、それこそ天下の指導者を失うわけだ」

と熱心に説き、赦免運動をやってくれたお蔭で、同じ年の9月漸く出獄を赦されたものの、出獄後も謹慎を命じられて、青天白目の身となるまでは実に前後9年に及びます。

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