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最初の燈台条約

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観音崎燈台
観音崎燈台

1858年(安政5年)、幕府がアメリカを始め、オランダ、イギリス、フランス、ポルトガル等の各国と通商条約を締結して、長崎、函館、横浜などの港を開いたものの、さて外国の船舶が日本の港に来航してみると、燈台の設備が無く、浮標や瀬印さえ無いのには甚だ不便を感じて、幕府に対してその設置を懇請したのでした。

幕府としても、如何にも尤もな外国側の要求を否めず、1866年(慶応2年)5月13日、水野和泉守が初めて燈台条約を結びます。

それに依りますと、いよいよ来る19日より燈台、その他浮標、瀬印などの設置に着手するという定約書であって、大きな太鼓判まで捺したのであったが、何がさて折から幕末の風雲急を告げ、多事多端に紛れ、5月はおろか6月、7月となっても実施の運びに到りませんでした。

その頃、横須賀製鉄所のお雇技師であったイギリス人ウェルニーに灯台設計を依嘱して、日本最初の洋式灯台が、相州の観音崎に竣工点火したのは、1869年(明治2年)1月1日の事でした。

高さ40尺(約12メートル)の煉瓦造りの灯台で、三重心の石油ランプを光源とし、レンズを用いた最初の西洋式燈台で、燈台守もイギリス人が雇われたのでした。

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