- 2010年6月 3日 09:00
- 1853年(嘉永6年)

アメリカの提督ペリーが浦賀に来航して、江戸幕府の鎖国の夢を破ったのが、1853年(嘉永6年)6月3日の事でした。
この日午後5時頃、浦賀の沖に軍艦が現れると、「それ、黒船だ!」と俄かに付近一帯は鼎の沸くような騒ぎとなりました。
今から考えれば僅か1,700トン乃至264トン位の汽船で、少しも恐るるに足らぬものですが、浦賀の砲台からは号砲を放って警備船数百艘に総出動の命令を下し、先づ与力中島三郎助が陣羽織甲斐甲斐敷、多数の小舟を率いて、エイヤエイヤと黒船目がけて漕ぎ寄せる様は、さながら蟻の這い寄るようであったと云います。
一方江戸幕府へは早馬の使者が櫛の歯を引くように往復する。数千の武装兵は海岸一帯に物々しく警備の陣を張る。こうなると附近の漁師や農夫達は、恐れ慄いて家財道具を取り纏め、落のびの仕度さえ始めるというので、「16歳以上50歳迄の男子は外出罷りならぬ」という布令を出したのも、いざという場合の狩出の為でありました。
言うまでもなくペリーの来航の目的は、戦の為めでは無く、日本との通商開発に在ったのを、こうまで騒いだのは、徳川幕府の牢固たる鎖国主義に加えて、これを逐攘うべき沿海防備に自信が無かった為で、夜に入っても篝火や松明が盛んに焚かれて、夜を徹しての厳重な警備でありました。

だから当時の落首に
「太平の眠りを覚ます上喜撰(茶の品名で蒸気船に通ず)たつた四杯で夜も眠られず」
と皮肉ったものでした。
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