- 2010年6月 5日 06:55
- 1864年(元治元年)

1864年(元治元年)6月5日、京都で池田屋騒動の事件が起りました。
京都四条の小橋に筑前藩の御用を勤める柳家喜右衛門という者が住んでいて、町人にも似合わず沢山の武器を秘蔵しているのが怪しい、と嗅ぎつけた新撰組の近藤勇が、6月5日の早暁、その寝込みを襲って引捕へ、幾重に取調べてみると、前年8月18日の政変で、京都の地から追放同様となった長州藩の不平党が中川宮及び会津容保への復讐として、更に政変を一変させようという密謀がすっかり暴露されました。
しかもその当夜は三条の旅館池田屋総兵衛方で、同士20数名が密会する事まで判明したので、新選組は会津藩その他から援兵多数を頼みますが、時刻になっても到着しない為、近藤勇は独断専行し、日の暮方に不意に池田屋を襲って乱入します。
この乱闘に北副佶磨以下の7名は斬倒され、4人は重傷、3人を生捕、桂小五郎(後の木戸孝允)は僅かに身を以て逃れるという具合で、多勢を頼んだ新撰組が完全に勝利を得たのでした。
池田屋騒動は実に新撰組活躍の最初の記録でもありますが、この騒動で抜群の手柄をあらわし、最も器量を挙げたのは近藤勇でありました。
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