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水軍 Archive

「甲賀源吾という男は天晴れな勇士であった」(宮古湾海戦)

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宮古湾海戦
宮古湾海戦

「甲賀源吾という男は天晴れな勇士であった」

上記の言葉は、1869年(明治2年)3月25日の宮古湾海戦での、幕府残党軍の脱走艦「回天」艦長であった甲賀源吾へ哀悼の意を表した東郷平八郎の言葉になります。

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軍艦による海外使節派遣の始まり(台湾問題)

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龍驤
軍艦「龍驤」(りゅうじょう)

台湾問題に就いて清国と談判のため、特命全権大使副島種臣軍艦「龍驤」(りゅうじょう)に搭乗し、横浜を出港したのが、1873年(明治6年)3月12日でした。これが軍艦による海外派遣の最初の事となります。

この軍艦「龍驤」は、1864年(慶應元年)熊本藩が英国に注文して1870年(明治3年)に竣工、後明治政府所有となった軍艦で、2,530トンという、当時としては、日本一の船であり、日本一の軍艦でした。

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日本最初の国産軍艦「清輝」進水

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清輝
軍艦「清輝」

1875年(明治8年)3月5日、横須賀の造船所において、明治天皇の行幸を仰ぎ、軍艦「清輝」が進水式を挙げました。

明治日本、最初の国産の軍艦でした。

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世界最初の実戦に参加した「潜航艇」

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  • Posted by: sakanouenokumo
  • 2008年2月17日 00:04
  • 水軍

潜水艇
アメリカ人ダビッド・ブシネルが1775年に発明した潜水艇

潜航艇が発明されて、実戦に活躍した最初の記録は、アメリカ南北戦争期の1865年2月17日になります。南北戦争では上図よりやや大型のものを用い、発明者の名を付けてかダビッド号と呼びました。

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豊臣秀吉の「海上賊船禁止令」

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  • Posted by: sakanouenokumo
  • 2007年4月19日 01:00
  • 水軍

昨日ののNHK「その時歴史が動いた」、『 海の関ヶ原 ~村上武吉・水軍に賭けた夢~ 』 で紹介されました能島村上水軍第五代当主・村上武吉。織田信長豊臣秀吉徳川家康と三人の天下人に挑んだ、唯一無二の戦国武将(海将)です。

番組の中でも紹介されましたが、豊臣秀吉は村上水軍を屈服させようと朱印状を発します。それが、海の刀狩令と云われる「海上賊船禁止令」となります。

海上賊船禁止令

一、諸国海上において賊船の儀、堅く停止の処、今度、備後伊予領国の間、伊津喜嶋にて、盗船仕の族、これあるの由、聞食され曲事に恩食事

一、国々船頭猟師、いづれも舟つかひ候もの、その所の地頭代官として、速に相改、向後、聊以て海賊仕るまじき由、誓紙申付、連判をさせ、其国主とりあつめ上げ申すべき事

一、自今以後、給人領主油断致し、海賊の輩これあるにおいては、御成敗を加えられ、曲事の在所、知行以下末代召上らるべき事、右条々堅く申付くべし、若違背の族これあるにおいては、忽厳科すべき者也

天正十六年七月八日   秀吉

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村上水軍博物館

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  • Posted by: sakanouenokumo
  • 2006年7月 3日 22:10
  • 水軍

村上水軍博物館

7月1日の「NHKのど自慢」 予選大会の出場に併せて、久しぶりに実家の伯方島に帰ってみました。

翌日の2日にはもう名古屋に帰らなくてはなりませんが、帰るのは昼からということにして、午前中は隣の島(大島)にある「村上水軍博物館」に行ってみました。

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魚鱗乃備 - 舟陣形

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  • Posted by: sakanouenokumo
  • 2006年4月22日 19:51
  • 水軍

魚鱗乃備

魚の鱗のような形に船を配し、敵が鶴翼乃備で押し包んで撃ってこようという場面に功を奏す。ただし、順風、順汐が条件となる。

鶴翼之備 - 船陣形

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  • Posted by: sakanouenokumo
  • 2006年4月21日 00:20
  • 水軍

火を使った水軍の戦術の次は、水軍の船陣形についてご紹介。

敵、味方共に船で戦う時は、“備”に勝負がかかるが、形にこだわらず、(潮の干潮)、(潮流の早遅・向き)、(対陣の位・格)を大切にするべきである。

陣形については、『孫子』の兵法が参考にされており、下は代表的な「鶴翼の陣」を応用した船陣形「鶴翼之備

鶴翼之備

鶴が翼を広げたような形に船を配し、満潮時か干潮時(潮流の早くない時)大勢で小勢を討つのに適する。「」と「」の見極めが肝要となります。

ちなみに私見ですが、船の形を見ていると将棋の駒に見えます。将棋の駒が五角形なのは、実は船の形からきているのではないかと思ったりします。

投炮碌 - 合武三嶋舟戦火術

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  • Posted by: sakanouenokumo
  • 2006年4月20日 22:47
  • 水軍

投炮碌(なげほうろく):火薬の詰まった玉。点火し木製機具で敵舟へ投げ込む

投炮碌

「投炮碌」は織田信長の一向衆征伐における海戦で毛利水軍麾下の村上衆が織田水軍に対して用い功を奏した。非常に実践的であった。この「投炮碌」に苦戦した信長は1578年、熊野水軍九鬼嘉隆に命じ鉄甲船を建造し、これを率いて木津川沖で毛利水軍を破る。

火龍 - 合武三嶋舟戦火術

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  • Posted by: sakanouenokumo
  • 2006年4月20日 00:03
  • 水軍

海賊流軍学の三島流は能島・来島・因島に発達した村上三家の水軍流の総称で、火術に秀れていたといいます。火術は舟戦には専ら、火攻めを行うため順風、順潮を無駄に見過さず火舟や火矢舟、抛火の攻撃を行うことをいいます。

その中のちょっと変わった火器をご紹介。

火龍:頭と尾部分が筒竹で作った鉄砲になっており、水に浮かべて使用する

火龍

「火龍」の用い方は、火薬入りの鉄砲付龍形模型に点火して敵方へ流し、敵兵がそれを引き揚げた後しばらくしてから火薬に火が届き爆発するという、一種の時限爆弾のようなものです。

九鬼嘉隆 - 熊野水軍

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  • Posted by: sakanouenokumo
  • 2006年2月22日 00:54
  • 水軍

1542年~1600年(天文11年~慶長5年)
志摩国田城城主定隆の子。
はじめ北畠氏麾下にあったが、1568年に織田信長の伊勢攻撃以降、織田信長の家臣となる。

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水軍学

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  • Posted by: sakanouenokumo
  • 2006年2月19日 01:22
  • 水軍

とりあえず、ネルソン特集はここまでということで。
これからは、秋山真之も戦術を参考にした「水軍学」について調べようと思います。

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