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大山巌 Archive

大山弥助(後の大山巌元帥)の大英断

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大山弥助
大山弥助(後の大山巌元帥)

時は1868年(慶應4年・明治元年)1月27日、厳然たる禁令を破って京都の地に西洋人を迎え入れたというエピソードがあります。

あたかも当時は鳥羽伏見の戦いの直後で、京都の相国寺内の薩摩病院には、官軍の傷病兵が多数収容されていました。これを治療する医者も多数集まってはいましたが、鉄砲傷や刀傷の重傷者が多くて、とても漢方医などの手には負えず、名誉の負傷者も段々悪化するばかりか、助かる者も助からないという状態でありました。

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大山巌と坂本龍馬と「弥助砲」

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  • Posted by: sakanouenokumo
  • 2008年12月 3日 00:12
  • 大山巌

大山弥助(後の大山巌)

陸軍大将大山巌元帥がまだ大山弥助と名乗っていた頃、薩摩藩中少壮の有志として時に22歳、大山弥助以下9名が薩摩藩から選抜されて、江川太郎左衛門の塾に入門したのが1863年(文久3年)12月3日の事でした。

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満州軍軍司令官・大山巌の奉天入城式典

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聖徳記念絵画館 壁画「日露役奉天戦」
鹿子木孟郎  筆
満州鉄道株式会社 奉納
明治38年3月15日
満州奉天城南大門

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オヤマカチャンリン

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大山巌

1916年(大正5年)12月10日、陸軍元帥大山巌が逝きます。

日露戦争時、大山巌満州軍総司令官に任命されるにいたり、

大山はこの日、宮中で明治帝に拝謁した。明治帝は、「山県もいいのだが、しかしするどすぎて、こまかいことまで口出しするので諸将がよろこばぬようだ、そこへゆくとお前ならうるさくなくていい、ということで、まあそういう次第でお前に決まった」と帝は当の大山に人事の事情まで話した。大山は笑いだし、
――すると、この大山はボンヤリしているから総司令官にちょうどよい、というわけでございますか
というと、帝も笑って、まあそんなところだろう、といった。
坂の上の雲』(黄塵)より

と、大山巌は日頃より滑稽なことを言っては、周囲の雰囲気を和ますような人でした。

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