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明治の城址 Archive
広島城(鯉城)

広島城(鯉城)
文禄年中毛利輝元の築きしところあり南に瀬戸内海を控え三川の流れ分岐して其周囲を繞れり。毛利氏より福島氏に帰し福島氏の亡後浅野氏の居城たりしと250余年以て王政維新に及べり。現今旧観の多くは失せて城址は第五師団の営所となり中央に聳ゆる天守閣のみ高く雲に聳えて今も師団の雄偉を表しつつあり、閣の高さ17間5尺、基礎は東西12間南北9間にして征清の役に大本営たりし司令部は其南隣にあり。城外は遥に山と隔たるを以て四方より広島市に入るものは数里の遠さより已にこの高閣を望み、往年を想いて更に近き征清役の偉績を仰ぐべきなり。『日本之名勝』(明治33年)より
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二条城

二条城
京都二条堀川の西岸に屹峙し、川に面するを其正門とす、永禄12年、織田信長始めて此城を築きしが、萬暦10年、明智光秀反逆を企て、信長を本能寺に弑せし時、信長の息信忠又此城に在りしより、光秀終に之をも焼打ちとなし、城樓外郭、一旦鳥有に帰して、永く荒廃に委したりしを、慶長7年徳川氏大に之を修造して、再び旧規を存するに至れり、維新の初假りに京都府庁に充てられ、府庁新築の後、更に宮内省の所属に帰して、今は帝室の離宮となれり、城地甚だ宏大なるにあらざれども、今尚お城樓を所々に存し、堊壁石塁、厳然として京都市内の壮観を成せり。『日本之名勝』(明治33年)より
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大阪城

大阪城
大阪市の東端法円寺阪町に在り、一に金城と号し、天正11年、豊臣秀吉の築く所にして城の周囲一里余、東南は玉造の平原に接し、東北には猫間川、寝屋川の二流を擁し、追手京橋、青屋、玉造の四門を開き、其石材は多く諸侯の寄附に係り、遠く百里外の地より運輸し来れるものにして、今尚お長さ数十間の巨石を塁壁の中に観るを得べし、古へは城地極めて宏大にして、其外郭、南は道頓堀附近に及び西は、東横堀に亘りしも、元和元年、豊臣秀頼没落と共に、城櫓多くは灰燼に帰し今存する所の城域は、只だ当年の牙城のみなりと云う、此城今は第四師団の本営となり、年々旧式の建物を毀ち去りて、旧規今存する所のもの少きも、石塁高く、濠渠深く、猶お人をして、当年を想見せしむるに足る。『日本之名勝』(明治33年)より
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名古屋城

名古屋城
名古屋市は尾州愛知郡の乾位に在り、四方幾んど一里半、市坊の数270、戸数5万、人口18万に近く、挙げて市制の下に立てり、此地、天文年間に在りて巳に織田氏の城邑たりしも、当時尚お空漠なる広野に過ぎざりしが、慶長15年東照公其子義直を此に封じて大に城郭を築きしより、漸く市街の繁盛を加え来り、今は本邦三都に亜ぐの大都邑となるに至れり、城郭は天下無比の壮観にして、崇牅高く市の北辺に畝立せり、殊に五層の天守閣は、加藤清正自ら望んで其工事を擔任し、部下を率いて一手に造営せし所に係り、層閣巍々として雲表に秀立し、閣上には一双の金鯱、昂然として尾参両州を脾睨す、其高さ8尺5寸、胴の周囲7尺3寸、黄金1940枚を熔銷して鋳造せしものなりと云う、明治4年旧藩主徳川義宣一たび之を宮中に献納し、後、オーストリア博覧会に出陳せられて光りを全世界に輝かしたることありしが、先年市民の請願に因りて再び之を閣上に移し今や金鱗復ま高く天辺に輝くに至れり。『日本之名勝』(明治33年)より
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熊本城

熊本城 明治9年頃
慶長年中、有名なる加藤清正の築きしものにて、現今第六師団の所在地たり。西南の役に、旧時の樓櫓多く焼失せりと雖も、城濠其他の規模は、依然として当年の雄大を想わしむ、特に城の中央に聳うる天守閣は、巍然として天を摩し、鬼将軍の稜々たる気節を表するものの如し。城内には、老樹古木立ち茂り、昼尚お小暗きあたりに、峩々たる石垣青苔滑なり、伝えいう、この城中の各建築にたける畳床は、ことごとく芋茎を以て織られたりと、これ名将が万一を慮れる計に出でしもの、以て、其深沈大謀を察すべきなり。城上より市街其他の眺望亦た甚だ富めり、彼の丘を指し、この岡を見て、谷将軍当年の籠城を追懐するも一興ならん。『日本之名勝』(明治33年)より
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姫路城(白鷺城)

姫路城(白鷺城)
貞和年中、赤松貞範の築きしを始とし、天正年間、羽柴秀吉この城に移り、規模を広大にして、毛利氏に対する要衝とし、三層の天守閣を築けり。慶長5年、池田輝正この城主たりしとき、大に土工を起して五層の天守閣を建築す、現今残れるものこれなり。城外よりこれを望めば、旧時の櫓、樓などの白垔粉壁の間に、老松亭々として繁茂し、其上に、巍然たる高閣天を摩して立ち、飛鳥影をおさむるの観あり、この閣は塗るに白垔を以てしたるより、岡山城を鳥城というに対して、鷺城と呼びなせり、現今は、師団の所在地として其営所に充てられ、特別の許可あるに非れば、登臨することを許されず。『日本之名勝』(明治33年刊)より
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