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明治時代の新聞記事

噫乃木将軍

△満都哀慕の涙に湿る
 新聞紙の所報によりて、乃木将軍夫妻自殺のことを知りたる満都の人々は、老いも若きも知るも識らぬも、唯惜愕の眼を瞠り、悲痛の感に打たれざるものなかりき、勇敢なる武将として、清廉なる高士として将軍が如何に深く敬慕せられたるかを窺ふに足らん。

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乃木大将の殉死

――轜車発引の時を期して割腹――

――夫人も倶に咽喉を貫て死す――
 明治天皇の霊柩を送りまつりし悲しき夜我等又更に一の悲報に接しぬ、それは日露の役に偉勲を樹てゝ赫々たる名誉を天下に輝かしたる乃木将軍殉死の報是れなり、而かも夫人も倶に膝を並べて刃に伏し同じ途に赴きぬと聞くに及びて、吾等は悲痛の情益々深きを覚えき。

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大海戦後報

大海戦、大海戦、大海戦、大海戦、大海戦、大海戦今は唯是れだけを云って置く。

日本海の大海戦

昨朝対州附近に敵艦隊現はれ我が艦隊之を発見せりとの報某所に達したりといふ。

両将軍水師営の会見

本日午前乃木将軍とステツセル将軍と水師営に於て会見したり。

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旅順陥落

本日午後九時関東要塞地区司令官ステツセル将軍より開城に関する書面を受領せり。

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乃木中将の覚悟

新聞紙の伝ふる所に拠れば乃木陸軍中将に二子あり長子は第一師団の歩兵第一連隊に属し南山の戦に名誉の戦死を遂げたる中尉勝典氏にして次子は出征中になる同師団歩兵第十五連隊の少尉保典氏なり、欺く二子とも戦場に赴きたる其上に中将も亦、或る重大なる任務を帯びて(註、第三軍の司令官として)此程出征の途に上るに臨み適々長男戦死の報を得たるに中将は家人を顧み此戦役には父子三人揃って戦死を遂ぐるの覚悟なれば、此際葬儀を営むことは暫く見合せ、他日三人の遺骸を同時に葬送する時あるを待つ可しと命じたりと云ふ。

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初瀬吉野遭難の悲報

東郷連合艦隊司令長官より軍艦初瀬及吉野遭難に関し大本営に達せし報告の要領左の如し。

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クロパトキン将軍奉天に向ふ

露国在満州陸軍総司令官クロパトキン将軍は奉天に向かひたり。

日進春日両艦横須賀に安着す

我が上下の人々が一日も早く安着せよかしと待ちに待ちたる帝国軍艦日進春日の両艦は愈々本日を以て無事横須賀に到着したり即ち、日進は午前九時三十分に、又春日は之に後くるゝこと二時間にして同十一時三十分を以て入港せり

宣戦詔勅

天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国皇帝ハ忠実勇武ナル汝有衆ニ示ス

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旅順口外の海戦

――二月十日水野芝罘領事発外務省着電――
英国汽船「コロンビヤ」号一等運転士は本官に告げて曰く、二月九日正午本船が旅順口を出港せんとする時十六隻より成れる日本の艦隊は旅順口外六哩の所にて露国軍艦と放火を交へてありし露艦の内、戦闘艦二隻(レトウイザン一ニ九〇ニ噸、ツェザレウイツチ一ニ九三七噸)巡洋艦一隻(バルラダ、六七三一噸)は同日午前七時日本の水雷に轟沈せられたるなりと。

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日露遂に開戦

日露の外交的関係断絶を告げ、自由行動の時期に入りしが遂に九日を以て戦端は両国の間に開かれたり。

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露国の通牒

二月六日を以て露国が列国に発したる通牒に曰く、日本が露京に於ける其公使(栗野公使)並に公使館員全部に対し引揚の訓令を発したる結果、露国も同じく東京駐在の露国公使(ローゼン男)に対し引揚の命令を発せりと。

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最後の御前会議

伊藤、山県、大山の三侯、松方、井上の両伯、桂総理、山本海軍、曾禰大蔵、小村外務、寺内陸軍の各大臣は四日(二月)午後二時参内、御前に於て会議を開き時局に関する重大なる事情につき協議し御下問に奉答する所あり、会議は四時三十分頃結了、一同御前より退出後、内閣に立寄り更らに協議を重たるが、山本海相は同四十五分、山県侯、寺内陸相は同五十分大山侯は五時五分、松方伯は同三十五分、井上伯は同四十分、小村外相は六時十分、伊藤侯、桂首相、曾禰蔵相は同十五分退出せり。

最後の元老会議

豫報の如く三日(二月)午前十時より永田町首相官邸に於て元老会議は開催せられぬ。

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軍事参議院会議

軍事参議院の第一回会議は二十五日午前十一時より宮中元帥府に於て開催せられぬ。

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日露風雲急

帝国最後の警告に対する露国の回答は、未だ来らざるなり。

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子規居士を悼む

 子規子の生涯は世の既に識る所多きを以て重ねて詳記するの要なけれど、予が茲に特に筆するを禁ずる能はざるところのものは、予が超邁の英気と独立自ら信ずるの甚だ篤きことに在りき。

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俳壇の巨人正岡子規逝く

八年病蓐に在つて俳壇を革新し、病重きも「墨汁一滴」に筆を絶たず、其の益々篤きに及んで、猶口授を以て「病牀六尺」を廃せざりし、子規氏(伊予松山の人)は一昨十九日午前一時を以て竟に逝けり。

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