- 1902年9月21日
- 東京朝日新聞
八年病蓐に在つて俳壇を革新し、病重きも「墨汁一滴」に筆を絶たず、其の益々篤きに及んで、猶口授を以て「病牀六尺」を廃せざりし、子規氏(伊予松山の人)は一昨十九日午前一時を以て竟に逝けり。
享年三十六、辞世
糸瓜咲て痰のつまりし仏哉
痰一年糸瓜の水も間に合はず
おととひの糸瓜の水もとらざりき
小説「坂の上の雲」に関連する、明治時代の新聞記事を収録しています。
八年病蓐に在つて俳壇を革新し、病重きも「墨汁一滴」に筆を絶たず、其の益々篤きに及んで、猶口授を以て「病牀六尺」を廃せざりし、子規氏(伊予松山の人)は一昨十九日午前一時を以て竟に逝けり。
享年三十六、辞世
糸瓜咲て痰のつまりし仏哉
痰一年糸瓜の水も間に合はず
おととひの糸瓜の水もとらざりき