- 1904年1月26日
- 国民新聞
帝国最後の警告に対する露国の回答は、未だ来らざるなり。
最後の警告の発せられたるは本月十三日にてありき。爾来一週間を経て十日を過ぎ、既に十二日を経過したるに拘らず、露国の回答は未だ来らざるなり。今日世界の一極点より一極点に、僅々十二分間を以て電信を通じ得、東京より露京迄一日を以て優に電報を往復し得る世の中に於て、空しく十二日を経過するも、未だ回答なきは余りに甚しき遅延に非ずや。回答の遅延は露国得意の手段なり。昨夏以来満韓問題に於て日露の交渉を重ねしこと夫れ幾回なりしぞ、其始は露京に於て我が栗野公使は外務大臣ラムスドルフ伯と、樽爼の間に折衝すること月余に亘り、次で、交渉の東京に遷さるゝに迨んで、小村外務大臣と、ローゼン男(駐日露公使)と会見数次に達し、彼我の意見は遺憾なく交換され、両者の主張甚だ明白なるに至りて、我国の最後の提案は十月三十日を以て提出せられぬ。露国よりの回答は一個月を経るも来らざりき。遅延又遅延、回答は四十三日後に来れり。而して、其回答すらも我の要求に応ずるが如く、応ぜざるが如く其の言辞を婉曲にして然も事実上我が平和的合理的提議に対して韓国分割を提議したるものにてありき。然も帝国は我より事端を啓くを避け小村ローゼン両男の会見は十二月二十一日を以て行はれ、我の最小限の要求は更に露国に向つて提出せられたり。回答は十七日を過ぎて来れり。然も其回答たるや、我の当然の要求を容れたるものに非ざりき。日露の外交は事実上此の時に於て断絶したるものを認むるを得たりき。然も帝国は忍耐し得らるゝ丈を忍耐し露国に発するに最後の警告を以てし、切々偲々の言を以て彼の猛省を促したりき。露国にして之に答へんと欲せば即時に回答し得べき筈なり。何となれば露国は最早婉曲なる辞令を以て之に答ふべき余地を剰さず、「然り」若しくは「否」を以て之に答ふべく、答へざる可らざる位地に在ればなり。然も、露国は今日に至るも尚ほ回答せざるなり。露国の回答の遅延は何事を意味するか是れ明白に平和の誠意皆無なることを示すものに非ずして何ぞや。若し露国にしてその半官報を以て若くは広告機関をして、頻りに流布せしめつゝある如く、平和に意ありとせば、一刻の遅疑もなく、一刻の猶豫もなく我の最後の警告の達したる即時に於て、全然之を承認すべき旨を答ふるを当然とするに非ずや露国が直ちに為し得べき回答を為さざるは、是れ故らに時局を遷延せしめむと欲するものに非ざるか、ディロン博士は烱眼を以て極東時局の真相を看破して曰く「時」は露国の最も有力なる味方なりと。然り、露国の最も恃とする処は「時」にあり。果して然りとせば目下帝国の有力なる敵は即ち「時」に非ずして何ぞや。彼の誠意認むべきものなく、戦意の歴々として蔽ふ可らざるものあり。而して、故らに時局を遷延せしむるは帝国の果して認容し得げき所なるか。倫敦に於て極東の事情に通ずる社会に於ては露国の平和的通牒を以て、其目的、単に時局を遷延せしめんとするものなりと観測しつゝありと伝へらる。露国は果して斯の如き観測を否定し得る丈の有力なる証拠を有するか、真憑すべき風説は露帝が露国は大国なり。然も忍耐には制限ありと言給ひたりと伝ふ。是豈、他人心有あり、我之を忖度するものに非ずや、帝国は既に忍耐の最極限を示したり。忍耐にも制限ありとは帝国より露国に対していふべき恰当の言葉に非ずや。知らず、露国は回答の遅延によりて忍耐にも制限あるの実例を帝国の活動によりて見んと欲するか。